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第15話
大学の講義も終わり、僕は一旦自分の部屋に戻ると、着替えとメイクをした。もう何度目の変身だろう。男から女に変わる自分にもだいぶ慣れてきた。僕は鏡に写る自分を見ながら、複雑な溜息を洩らした。
僕は奇麗なのだろうか?
ふと、自分をしみじみ見つめながらそう思った。映画のフィルムに収まる自分を監督として客観的に何度も見ているが、僕は自分をそんな目で見たことがない。でも、照もヴァレリオも僕を奇麗だと言ってくれる。照の提案で僕が女装して彼女を演じることになったけど、僕の女装が奇麗なのは事実のようだから、これで良かったのだと思う。ただ、見た目は良いとしても、僕の演技はどうだろう。照やヴァレリオに僕は完全に負けているのではないか。恋をするという気持ちを一番理解していないのは僕だ。脚本も監督も俳優も僕なのに、肝心の僕がこんな風では、この映画は薄っぺらなものになってしまうかもしれない。
僕はそんな不安に急に包まれる。
夕べ僕はやはり照を傷つけたのだろう。人と人がお互いに入れ替われる機械があればいいのに。そしたら僕は、照の心の痛みを感じることができるのに。
ヴァレリオは既に撮影現場に向かっているはずだ。時間は貴重だ。急がないといけない。僕は気合を入れて椅子から立ち上がると、部屋を出た。
今日の撮影は、サークルの部室でのシーンだ。僕と照とヴァレリオとの激しい絡みがある特徴的なシーンだから、自然と気合が入る。
撮影現場には、照とヴァレリオと、照の友人のカメラマンの子が既にスタンバっていた。今日は三人だけのシーンだから、こぢんまりとこの四人で撮影をすることになっている。
「待たせてごめん。早速始めようか」
僕はそう言うと、カメラを回してくれる彼と、絵コンテを通して打ち合わせを始めた。
照とヴァレリオは遠く離れた距離に立っていて、お互いから拒絶の空気が漂っているのが分かる。僕はそんな二人を見ていると、胃がキュッと締め上げられるような感覚になった。
カメラマンとの打ち合わせを終わらせると、僕は『本番始めよう』と大きな声で呼びかけた。
僕の合図に照とヴァレリオは反応すると、照は僕が示した立ち位置に歩を進め、ヴァレリオは部屋の外に出た。
このシーンはこの映画で一番の見せ場だ。僕と照が口論をしていることにヴァレリオが気付く。最初は隠れて様子を伺っていたが、僕に乱暴に詰め寄る照に我慢ができなくなったヴァレリオが、照を止めようと掴みかかる。
ここまでを一気に撮影しよう。と僕は二人に説明すると、二人は無表情でただ頷くだけで、僕はこのひりついた空気に息が詰まりそうになる。
「じゃあ、始めるよ。よーい、スタート」
僕はカメラマンの方を見て合図を出した。
まずは、ヴァレリオがドアを開けると、部屋の中から口論が聞こえる。僕と照が何かを話しているみたいだが、それはヴァレリオには聞こえない。
僕は照と正面で向き合いながら、「お前のせいだ」「あたなのせいよ」とお互いを激しく罵り合う。
「違う! 君は何も分かってない! 愛が何なのかを!」
照は、僕の両肩を痛いくらいの力で掴むと、そう言った。僕は自分で考えた台詞に、ここまで自分の心を抉られるとは思わなくて、今受けているショックが、皮肉にも良い演技に結びついているのではないかと思うと、自分が情けなくなる。
僕は、動揺を必死に隠しながら、強気な彼女を表現した。その態度にヒートアップした照が、両肩を強く掴んだまま僕を壁に追いやる。
壁に後頭部を強く打った僕は一瞬頭が真っ白になった。照は何かが憑依したみたいに、僕を憎らしげに見つめている。その目はひどく殺気立っていて、僕は照が公私混同をしているような気がして怖くなる。
照……怒ってる?
そんな強い不安に僕が押しつぶされそうになった時、僕の前から照が一瞬で姿を消した。
「うわっ」
照は、首の後ろをヴァレリオに掴まれると、床に思い切り叩きつけられた。照は床に尻もちをつきながら苦しそうに咳き込んでいる。
ヴァレリオは僕を見つめると、安心したように僕を抱きしめた。
「良かった……摩央に何かあったら……」
ヴァレリオがそこまで言いかけた時、照は素早く立ち上がると、ヴァレリオの肩を掴み、ヴァレリオを振り返らせた。
「こっの……野郎!!」
照がそう叫んだ次の瞬間、照の拳が、鈍い音をたてながらヴァレリオの頬に入ったのを、僕は間近で見てしまった。
「うわっ、照! やめろ!」
僕はつぶさに照に飛び掛かると、興奮している照に羽交い絞めをした。力は照の方が上だが、僕は渾身の力で照を必死に押さえつける。
ヴァレリオは殴られたせいで口を切ったのか、唇の端に血が滲んでいた。
僕は一瞬、この状況にパニックになりそうになったが、映画監督としての責任を取り戻すために、冷静になれと自分に言い聞かせる。
「照! ヴァレリオ! お前たちバカか! これは映画だ! フィクションだ! いい加減にしろ! こんな調子なら、僕は今日から宿舎を出るぞ!」
気がつくとカメラマンは、おろおろしながらもさっきからずっとカメラを回しっぱなしだ。
「カメラ止めて! 休憩! 休憩しよう!」
今日の撮影を始めてまだ数十分しか経っていないのに、何が休憩だと自分でも呆れるが、もうそうするしかない。僕はカメラマンの子に、『二人の喧嘩はここだけの秘密にしてほしい』と耳打ちをすると、彼は『え? 演技でしょ? 凄かったねー! まだドキドキしてるよ!』と、興奮気味にそう言った。僕は『そ、そうだよ。もちろん!』と、カメラマンの天然さに上手く乗っかることで、何とかピンチを乗り切る。
照とヴァレリオは僕の言葉に冷静になったのか、無言のままその場に突っ立っている。
「照、ヴァレリオ……頭冷やして……お願いだよ」
僕は二人に優しくそう言うと、ヴァレリオに近寄り唇の傷を確かめた。
「ああ、口の端切れてる。手当しないと」
僕はそう言いながら、ヴァレリオの傷をよく見るため顎を触って左右に顔を揺らした。よく見ると、頬も赤く腫れていて、早く冷やさないと撮影に影響が出てしまう。
「医務室行こう。ついてきて」
僕はそう言ってヴァレリオの腕を引っ張った。
「俺も行く」
「え?」
照はそう言うと、僕の前に立ち僕に振り返った。
「ダメだ! 照はここで待ってて。すぐ戻ってくるから」
昨日の夜僕は、ヴァレリオは日本政府が絡むほどの超絶VIPだということをやっと照に話すことができた。だから暴力的なことは絶対にするなと釘を刺したばかりなのに。それがまさか、話しをした次の日からこんな派手な喧嘩をするなんて。さすがの僕もそんなこと予想していなかった。
僕の言葉に、照は悔しがるように眉間に皺を寄せると、床の一点をじっと見つめている。
僕はそんな照を横目で見ながら、急いで部屋を出た。
医務室は撮影場所から五分ぐらいかかる場所にある。そこには看護士が常勤していて、学生の健康を管理してくれる。
僕は何度かお世話になったその部屋のドアをノックした。
「どうぞ」
中から聞き覚えのある声がする。この医務室の看護師の名は、「徳田弘道(とくだひろみち)」という男で、年齢は30歳で独身。柔和な笑顔が魅力的な中々のイケメンだ。カウンセリングの資格も持っていて、以前一度だけ、父親との悩みを聞いてもらったことがある。心を許している相手と言ってもいいかもしれないが、それはカウンセラーなのだから当たり前だろう。
部屋の中に入ると、徳田はテーブルに座り、物書きをしていた。男性看護師が着るような白衣の上下を着用している。その白衣は筋肉質な徳田の体にややきつめにフィットしていて、なんとなく無駄にエロティックないやらしさがある。
「え? あれ? 誰?」
僕に気づいた徳田は驚いたように目を丸くした。
「あ、摩央です。工藤摩央」
僕は自分が女装をしていることをすっかり忘れていた。こんな格好のままここに来てしまったことを今さながらに後悔する。
「えー、摩央君? 何でそんな格好してるの?」
徳田は勢いよく席を立つと、僕に近づいた。
「え、映画の撮影です。あ、あの! 詳しい話はまた後で。ちょっと撮影中にトラブルがありまして、彼のケガの手当をしてもらえませんか?」
僕は一気にそう言うと、僕の後ろにいたヴァレリオを前に押しやった。
「ふーん。そうなんだ。摩央君やばいね。すごく可愛い!」
徳田はニヤニヤしながら僕をしげしげと見つめてくる。
「あの、僕じゃなくて、彼をお願いします」
僕は徳田の視線から逃げるように、ヴァレリオを徳田の前に突き出した。
「おっと、こっちはこっちでなんか凄いオーラだね……ん? あれ? この子ってもしかして、噂の留学中の宇宙人?」
徳田は僕とヴァレリオを交互に見つめながらそう言うと、ヴァレリオに視線を止めて興味深く見つめた。
「……そうです。あの、早く手当してください。時間がないので」
僕は少しイライラしながらそう言った。貴重な撮影時間を無駄にしたくないという思いがあるからだ。でも、今日はもう諦めた方が良いかもしれない。ヴァレリオの顔の腫れはそう簡単には引かないだろうし、照のメンタルも心配だ。
「おっけ。じゃあ、ここに座って」
徳田はそう言ってヴァレリオを診察用の椅子に座らせると、顔に触れながらケガの様子を伺い始める。
「なるほど。これはあれだね? 誰かに殴られたでしょ?」
「え?」
僕は、もはやその通りですと言っているような反応をしてしまう自分に瞬時に呆れる。
「違う。殴られてはいない。俺が転んでそうなった」
その時、今まで黙っていたヴァレリオがいきなりそんなことを言った。
「え? そうなの? 転んだんだ。ふーん」
徳田は不思議そうに小刻み頷くと、おもむろに自分の椅子から立ち上がった。
「そうか。慣れない地球だと、確かに転びやすいかもね」
徳田は納得したようにそう言うと、薬品庫から薬品を選び始める。
「これを口の端に塗るとすぐ治るよ。最近改良されて、どんなタイプの宇宙人でも効果あるはずだから。顔の腫れはね、冷やすのが一番だね」
徳田はヴァレリオに薬を渡すと、また薬品庫に戻り、今度は冷却シートを持ってきた。
「これもかなり有能だよ。皮膚が弱い人でも使えるし、貼ると透明になるから貼ってることを気づかれない……そうだな、これを貼っておけば、今日中には腫れは引くかな」
徳田は得意げに冷却シートをヴァレリオの顔前でひらひらと揺らすと、腫れている方の頬にそれを出際良く貼った。
「しかし……こんな男前の宇宙人初めて見たよ。君、めちゃくちゃかっこいいね」
徳田はヴァレリオの頬をもう一度確認するように見つめると、感心したようにそう言った。
「我々の星は見た目に差異がない。だから、かっこいいなどと言われても良く分からない」
ヴァレリオはいつもの淡々とした口調でそう言った。
「だが、摩央の美しさは分かる。不思議だが、摩央は俺にとって特別らしい……」
ヴァレリオの言葉に、シーンと部屋が静まり返ってしまった。僕はどうして良いか分からずあたふたと目を泳がす。
「そうだね。こんなイケメン宇宙人を虜にする摩央君は確かに魅力的だね。そう言えば、前に照君も同じこと言ってたなあ。摩央君は特別だって……」
僕はドキッと心臓を鳴らすと、何故かヴァレリオの反応が気になり、すかさずヴァレリオの顔色を伺った。
「竹之内照……か」
ヴァレリオはそう意味深に呟くと、椅子から急に立ち上がった。
「行くぞ、摩央。さっさと撮影を始めろ。俺のせいで中断してしまったからな」
「え、でも顔の腫れが引かないと……」
僕は慌ててそう言い返した。
「俺以外のシーンを先に撮れ。俺はこのまま宿舎に戻って、摩央の帰りを待つ。今日は俺の番だからな」
ヴァレリオは微かに笑みを浮かべながらそう言うと、先に部屋を出た。
残された僕と徳田は、気まずい雰囲気に包まれるしかない。
「なんか摩央君。色々大変そうだね。カウンセリングだったらいつでも空いてるよ?」
徳田は苦笑いを浮かべてそう言うと、僕の肩を元気よく叩いた。
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