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『どちらかが十年分の記憶を忘れる薬』を飲まないと出られない部屋(1/7)
飾り気のないがらんとした部屋には、外に通じているだろう扉がひとつと、茶色い薬瓶の乗った丸テーブルと、天蓋付きの大きなベッドがひとつ。
分厚く頑丈そうな鉄の扉には鍵が掛かっており、部屋に閉じ込められている二人は甲冑も無く丸腰だった。
扉の上には、白い紙に黒い字で書かれたシンプルな貼り紙がしてある。
そこには『どちらかが十年分の記憶を忘れる薬を飲まないと出られない部屋』と書かれていた。
片手で杖をつく黒髪オールバックの男が、真面目そうな仕草でまっすぐ貼り紙を見上げて口を開いた。
「……なるほど?」
「いや、なるほどじゃねーって、ルス。なんでこんなことになってんだよ!」
横に並んで貼り紙を見上げていた金髪碧眼の男が突っ込みを入れると、首の後ろで一つに括った長い金髪が揺れる。
驚くほど整った顔立ちに、宝石のような青い瞳。
黙っていれば彫像のような男は、しかし口と態度がよろしくなかった。
「そうだな、どうしてかと言えば……。今日が四月一日だからだろうか?」
「どういう理由だよ!!」
「しかし、十年か……。なかなかに長いな」
指摘をものともせずに、黒髪の男が思案顔をする。
その様子に金髪の男も仕方なくテーブルの上の薬瓶を手に取った。
茶色い薬瓶には『十年分の記憶を忘れる薬』とだけ書かれたシンプルなラベルが貼られている。
「飲み薬かぁ。これ、半分ずつ飲んだら五年ずつとかになんねーのかな?」
「その可能性はあるかも知れんが、条件を満たせなくなるな」
「あー、そっか。そーだよなぁ……」
金髪の男が虚空を見つめて十年前の自分達を懸命に思い出していると、黒髪の男が横からヒョイと薬瓶を取り上げた。
「俺が飲もう」
「まてまてまて! ルスはダメだ!」
金髪の男は顔色を変えて、瓶の封を開けようとしている男から慌ててそれを取り返す。
「……大丈夫だ」
黒髪の男が苦笑に近い表情で微笑む。
「っ、ルスがへーきでも、俺は違ぇんだよ! 俺……俺は…………っ」
小瓶を胸の内に隠すように抱え込んだ金髪の男が、言葉尻を震わせて沈黙する。
「レイ……」
レイと呼ばれた金髪の男、レインズは青い瞳を滲ませて答える。
「俺は……あの頃のルスをもう見たくねぇし……俺はもう……二度とルスに忘れられたくねーんだよ……」
レインズの知る十年前のルストックといえば、目の前で蟻に妻子を喰われたショックで自棄になって暴れ、大怪我をした頃だ。
せっかく心の傷も癒えてきたルストックを、またあんな状態に戻されてたまるか、とレインズは思う。
「レイ……」
繰り返しルスと呼ばれていた黒髪の男、ルストックがレインズの震える肩を慰めるように撫でる。
レインズはパッと顔を上げると、ゆっくり後退りながら、人懐っこく笑って言う。
「それに、リンデルの事はお前がちゃんと覚えといてやんねーと、だろ?」
鮮やかなウインクを添える金髪の男に、ほんの少しだけ黒髪の男が見惚れた。
「それは、そうだが……っ、レイ!」
ハッと顔色を変えるルストックを、レインズは視界の端にとらえる。
『きっと俺もさっきは同じような顔してたんだろうな』なんて思いながらレインズは薬瓶の中身を一気に胃へと流し込んだ。
「ぅえ、まっず」
「っ!! またそうやって、一人で……っ」
怒りと後悔を滲ませるルストックに、レインズがへらりと笑って答える。
「へーきだって、俺は十年前だって二十年前だってルス一筋だからさ」
「…………っ、それでも、だ。お前一人が苦しむ理由にはならん」
「それはわかんねーぜ? 忘れる方より忘れられる方のがつらい事、も……っ、!?」
不意に苦悶の表情を浮かべたレインズが、ぐらりと傾ぐ。
「レイ!」
ルストックが精一杯腕を伸ばして片手でレインズの肩を支えるも、無機質な床に杖が滑った。
「くっ」
ルストックはなんとかレインズを庇いながら尻をつく。
「ぅ、ぁ……」
普段なら詫びのひとつも入れるはずのレインズは、まるで余裕のない様子で背を丸めていた。
「レイ! 大丈夫か!?」
ルストックは身を縮めるレインズを横抱きにして覗き込む。
「っ、う、……っ」
苦しげに強く目を閉じていたレインズの体から、ふっと力が抜ける。
「レイ!?」
ルストックは意識を失ったらしい男の息や鼓動に異変が無い事を確かめると、苦々しい表情で目を閉じたままのレインズの頬を撫でた。
部屋に不自然にベッドがあったのはこの為なのだろうか。そんなことを考えながら視線でベッドまでの距離を測る。自分とそう変わらない身長の男を、片足だけしか動かない自分がどうやって移動させようかとあれこれ思案するうち、腕の中の男が身じろぎをした。
「レイ! 大丈夫か!?」
声をかければ、レインズはぼんやりと目を開けた。
「どこか痛むところはあるか?」
「……ルストック……?」
金の髪がかかる青い瞳が、不思議そうにルストックを見上げる。
「痛いところはないか?」
もう一度同じ質問をされて、レインズは自分の状態を確認しつつ答える。
「ぇ、あ。えと、いや、別に……」
答えながら、レインズは頬を赤く染めた。
ルストックの腕の中で、黒い瞳にじっと見つめられる事に耐えられなくなったかのように、青い瞳はルストックの肩あたりで視線を彷徨わせている。
その様子に、ルストックは理解した。
薬が、その名の通りに効いてしまったのだと。
いつもまっすぐ自分を見つめ返してくれたはずの青い瞳は、今、失われてしまったのだと。
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