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『どちらかが十年分の記憶を忘れる薬』を飲まないと出られない部屋(2/7)

「えーと……、俺、何してたんだっけ。ってか、ここどこだ?」 レインズはキョロキョロとあたりを見回しながら立ち上がる。 「ありがとな」と照れを残しつつもルストックへ笑顔を向けたレインズが、杖を支えに立ち上がろうとするルストックの姿に凍りつく。 「お、お前……、足、怪我したのか!?」 「…………ああ、随分前にな」 「……随分……? じゃあまさか……、その足って、もう……」 言葉を詰まらせたレインズは今にも泣き出しそうな顔をしていた。 どうやら、自分よりもさらに辛い思いをする奴がいるようだ。 ルストックは自分の思いをひとまず手放すように努める。まずは目の前の恋人を支えなくては。 「これは俺の不注意だ。お前のせいじゃない」 ルストックはなるべく優しい声で伝えつつ立ち上がると、まっすぐレインズの前まで進み、レインズの頭を片手で抱き寄せた。 「ふぇ!? ル、ルス……!?」 後頭部の傷を避けるようにしつつも自然に回された大きな手のひら。 慣れたその仕草に、レインズは動揺する。 「え、ちょ、急にどうしたんだよっ」 「お前が泣きそうな顔をしてたからだ」 「なっ、泣いてねーし!」 「それならいい」 「……ルス……?」 「お前が一人で泣かないでくれるなら、それでいい」 レインズの頭を宥めるように撫でていたルストックの手がゆっくり離れる。 「ル、ルス、どうし……」 戸惑うばかりのレインズの大きく揺れる青い瞳。 ルストックはそれをどうしようもない気持ちで見つめながらレインズの頬に指を伸ばす。 「え、と……、なんか今日のルス、俺に触り過ぎじゃ――」 頬を撫でたルストックの手が、レインズの細い顎を引き寄せる。 優しく唇を重ねられて、レインズは動きを止めた。 驚きに目を見開いて固まったレインズから、ルストックはゆっくり顔を離すと寂しげに微笑む。 「すまない。性急だったな……」 ルストックが口にした謝罪の言葉に、レインズの見開いたままの青い瞳が揺れた。 「……な、な、な。なん、の、冗談だよ……?」 いつもの笑みを浮かべようとしているらしいレインズが、震える口元をなんとか持ち上げる。 「冗談でこんな事はしない。俺は本気だ」 「………………ふぇ?」 間抜けな声を返したレインズの肩をルストックががっしりした手で掴む。そのまま、ルストックはレインズの青い瞳を覗き込むようにして告げる。 「レイ、俺はお前が愛しい。この世の何より大切に思っている」 「へ? ぇ? ………………えっ!?」 驚いた顔のレインズをルストックは包むように抱きしめる。 言葉通り愛しげに触れてくる親友の姿に、レインズは狼狽えるばかりだ。 「あ、あのさ……、これ、なんかの罰ゲームとかドッキリとか、そういう……?」 素直に喜ぶことができないレインズに、ルストックは寂しげに苦笑を浮かべると「俺がそんな酷いことをする奴だと思うか?」と答えた。 「……っ、ほんとに……。…………本当に……? ルスが、俺のこと……?」 レインズの青い瞳が祈るような色でルストックを見つめる。 「ああ、お前を愛している」 ハッキリと肯定するルストックの言葉に、レインズは息を詰めると宝石のような青い瞳からぼろぼろと大粒の涙を溢した。 「……泣かないでくれ」 ルストックが困った様子でその涙を拭う。 「お……俺、も、ルスの事……っ、ずっと……」 「分かっている」 声を震わせるレインズの金色の頭を、ルストックは胸元にそっと抱え込む。 「お前が俺のことをどれほど思ってくれているのか。俺はもう十分、思い知らされている……」 ルストックの言葉の終わりが重く濁って、レインズは涙に濡れる顔を上げる。 「ルス……?」 「お前は、ずっと俺のそばにいてくれると言っただろう……?」 「え? ……え、と……」 「どうしてそうやすやすと、手放してしまうんだ」 「な、何を……?」 「お前の中の、俺の記憶だよ」 「ぇ?」 「お前だけは……、お前にだけは……俺を捨ててほしくなかった」 酷く暗い顔で俯くルストックに、レインズはおろおろと謝った。 「その、えっと、ごめんな? 俺、ルスに何かしたのか……?」 ルストックはしばらくの沈黙の後、ボソリと答える。 「俺がもし、お前は十年分の記憶を失ったと言ったら信じるか?」 「へ……?」 「お前は忘れてしまっただろうが、俺とお前は今一緒に暮らしてる」 「一緒に……!? 俺と、ルスが!?」 まだ涙を滲ませた青い瞳が、キラキラと輝く。 「ああ」 「うわぁ……マジで……? いや……すげー嬉しい……」 レインズは、ふわりと染まる自分の白い頬を恥ずかしそうに両手で隠した。 その幸せそうな仕草に、ルストックが苦笑する。 片手で杖をつきながら、器用に屈んだルストックは床に落とされていた薬瓶を拾い上げて言う。 「お前は、俺を庇ってこの薬を――……」 シンプルなラベルをレインズへ向けたルストックの言葉が不意に途切れる。 ラベルには内側にも文字が書かれていた。 液体と同じ色の小さな字は、この液体を飲んで初めて読めるようになっていたのだろう。 そこには、薬の効果は部屋を出れば消え、記憶は元に戻ることや、その前に楽しみたい者は室内のベッドと備品を自由に利用してよいとの旨が記されていた。 「これを、俺が飲んだのか……?」 表側のラベルしか見えないレインズが、それをじっと見てから顔を上げると、ルストックは口端を持ち上げてニヤリと不敵に笑った。

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