住職を兼任する須賀の弁に熱がこもっている。 　始めは様々な思想家の考えを興味深く聴いていて、だがそれも国や個性を重ねるにつれ、俺の拝聴の受け容れ体制も徐々に満床に達していった。 　良いんじゃないか。皆んな各々の考えに従って、出来たら迷惑かけずに生きていけば。 　隣の天川も、俺と同じく満床なのか、虚ろな視線が須賀の板書きしている範囲からずれている。 　倫理なのに、眼鏡はケースにしまったままだ。 　あれから、時間や授業を経るうち、俺たちの空気は程なく通常へ戻った。 　天川もすぐ普通に接してきたし、お前には、の気配なんてもうおくびも出さなかった。 　だから俺もそれに倣った。 　隣で顔を合わせている、『その』時の天川が大事だったし、 いくら隣だからって、隣の席であるだけで、彼の深淵に手を掛けている訳じゃないのだ。 　記憶には留まらないが須賀の声の大きさだけは把握しているうち、重大な仮定が脳内に閃いた。 「……あまが、天川っ」 「……何」 「俺、当たる。今日、これから当たる。ねえ今どこやってる？」 「ええ？」 「今日18日だろ。この間、8が付くから『８(や)まだな』って、トリッキーなパス回してきたんだよ。な、今孔子の何？」 「……見えない」 「先取りして悟り開くの早(はえ)えよ！　ちょっと、天川眼鏡掛けて！　早く、透君眼鏡掛けて！」 「ええ、もーお……」 　一方的な応酬だが、声を最小に潜めているためいつの間にか身を寄せ合っている。 　天川は、近頃では素と思われる率直に毒づく面も見せ始め、渋々といった眉間を寄せたが、俺には見慣れている黒縁の眼鏡を掛けて、前を向いてくれた。 「……仁と礼だよ」 「何それ」 「教科書に載ってる……てかキズキ君開いてないし！　……仁はひとを思う心。礼はそれに基づいた行動ってところじゃないの」 「え？　具体的にどうするってこと？」 「それそのまま聞けばいいじゃん！　……あ、話終わる」 　須賀の弁舌が終息へ向かい、この後誰かにまとめを確認させる。 　俺たちは息を詰め、俺は頭の中で天川が教えてくれた内容を反復し、それが無意識のうちに彼の机の上の手を握るという動作に連動していた。 「えー、今日は18日だから……。　出席番号18番、戸川」 　眼鏡(レンズ)の向こうで、こちらを見る脱力した目がほそめられていた。 　えー。 　俺はその口のまま、天川の手をぐいぐいと揺るがす。 　めっ、ちゃフェイントだよなあ。 　いや通常でしょ。 　目で、ふたりで会話して、そんな俺たちのやり取りなんか皆目無視のように授業は進行していて、 可笑しくて、その笑いを閉じ込めるようにさらに身を寄せたら、眼鏡の反射の隙間で天川の涙袋も膨れていた。 「近い、」 　そう零しつつも、天川は無理に俺の手をどかそうとはしなかった。