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もっと心躍る、喜びに満ちた歌をともに歌おう1

Sondern laßt uns angenehmer anstimmen,und freudenvollere!  朝早く、隣の部屋で奏が起き出した気配がする。今日はバイトの日だっけ?それにしては、時間が馬鹿に早いようなーーと思ったら、出かける支度をした奏が僕の部屋をノックしてドアから顔を出した。  僕を見下ろす堂々たる身長175センチ超え、老け顔の童顔は一族のDNAなので少々申し訳ないが、身内の身びいき抜きで人柄が至って真っ直ぐな、愛嬌のある好青年だ。 「今日、大学行く」 「えっ?」  あまりに意外な展開に、ポカンとアホ面をしたままの叔父を見かねたのか 「就職の説明会あるから」  とわざわざ親切につけ足した。 「えっ、就活すんの?」とか「去年一度行ったんじゃねえの?」  とか色々な疑問が喉元まで出かけたが、声にする前にすんでのところで飲み込んだ。どこにあったのかは知らないが、せっかくやる気スイッチが入ったところに下手に地雷を踏んでヘソなんか曲げられたら、姉に一生恨まれる。 「そうか。じゃあ朝飯食わなきゃな。冷蔵庫に何かあったかな」 「駅でなんか買うからいい」 「お茶飲んでくか」「うん」  僕ものそのそと起き出し、キッチンで湯を沸かし始めた。  僕が奏と一時的に同居しているのは県庁所在地とは名ばかりの、北関東某県のドーナツ化著しい地方都市、中毛(ちゅうもう)市だ。ちょっと訳ありで一人暮らしには広すぎる物件に住んでいたところに、これまた大学を休学中の訳ありの甥・奏が転がり込んで来た。 「スーツとか着て行かなくていいのか?」 「今日は普段着で大丈夫みたい。帰りに家寄ってリクスー取ってくる」 「うん。そうか」  リクルートスーツ、略して「リクスー」……  僕らも散々「団塊ジュニアはー」と「今どきの若い者批判」の枕詞で使われたクチだけど、少なくとも五文字の物を三文字に略したりはしなかったぞっ、と。時短とタイパの時代ってことか。 「8日に面接の練習があるって」  それも多分ひと通り、去年やってるはずだーーが、奏にとっては段階を踏み直して自信をつける事が大事なんだ。  それより僕は奏が「8日」を「はちにち」と発音した事の方が気になった。今まで会話が通じればそれでいいと思って、わざわざ直したことはなかったのだけれど。 「奏。『はちにち』は『ようか』と読むんだよ」 「わかってる。『よんにち』は『よっか』だっけ?」 「そう」  奏は「よっか」「ようか」と口の中で繰り返して「面倒臭いな」と呟いた。僕も「よんにち」「はちにち」の方がわかりやすいと思う。「よっか」と「ようか」なんて一番聞き間違えやすいのに不合理だよなぁ。  何故こうなるのかと聞かれても「昔からそうだから」としか答えられない。  ひとつ、ふたつ、みっつ(中略)やっつ、ここのつ。  ついたち、ふつか、みっか、(同上)ようか、ここのか。  せめて整合性や規則性があれば、奏は理系でむしろ地頭がいい方なのでここまで苦労はしないだろうに。  外国語として学ぶ側からすると、日本語が難しいというのはこういうところなんだろうな……と思ったりする。一番難易度が高いのはヘブライ語らしいが。 「家の鍵は持ってるの?」 「あ。忘れてた」  奏はまた部屋に戻った。  ちなみに奏は僕や姉と同様、両親とも生粋の日本人で母語は日本語だ。ただし小学校の時に発達障害の一種である軽度の注意欠陥多動障害(ADHD)と診断されている。  ADHDそのものは進行性だったり身体の健康に影響を及ぼしたりすることはない。また、奏の場合は教科の学習や知的活動に全く支障はない。教科により得意不得意の差は大きいが、むしろま成績はいい方だった。  ただし日常生活や他人とのコミュニケーションに少々難がある。「注意欠陥」云々の名が示す通り、集中力のムラが大きく忘れ物やうっかりが多かったり、じっとしているのが苦手だったりする。  また、「忖度(そんたく)」とまではいかないまでも相手の気持ちや立場を想像し客観的状況を俯瞰するーーいわゆる「空気を読む」事が苦手だったり、言葉を字面通りに受け取ったりすることがあるため、他人とのコミュニケーションや社会生活にしばしば困難を伴う。  理解されないまま孤立し、精神疾患(二次障害)に悩むことも多いとされている。実は後者の方が深刻で、社会問題化もしている。

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