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優しい魔法が、絆を再び 1

Deine Zauber binden wieder, Was die Mode streng geteilt; (優しい魔法が、分断の時代の人々の絆を再び結びつける)  前略 唯人さん。  元気かい?あなたの住むところはまだ雪が残っているのだろうか?いつものように出すあてのないメールに一方的に僕らの近況報告を書くよ。  唯人さんが出て行った後、休学中だった甥の奏か転がり込んで来て一緒に暮らしている。彼にちょっとした気分転換をさせるだけのつもりだったのに、ずいぶんと長くなって結局、解約するつもりだったあのアパートを借り続けている。  いっそ引越して心機一転できたらその方がよかったのかもしれないけど、出たら出たで僕も奏も寂しくなっちゃいそうだし……というより次々と色んな事が起こり過ぎて考えがまとまらず、引っ越す気力もないまま気がついたら四月になっていた。物件を探すにしてもあまりいい時期ではない。  ともあれ奏は大学に復帰した。落とした単位取り直しつつ障害者雇用枠で就活にも再挑戦することになった。今は企業に障害者雇用が義務づけられてるんだってね。時代錯誤なブラック面接の洗礼なんか受けずに済めばいいけど。  ただでさえハンデがあるのだから、面接で好感を持ってもらえるよう身だしなみだけはきちんと、僕も気をつけて見てやらないと。  それもこれも僕が先回って気を揉んでいるだけで、きっと奏は心配ない。いや、心配がないわけではないが……空気は読めないし細かいこだわりはあるし良くも悪くも真っ直ぐなお人好しだ。それでもそんな真っ直ぐさがこれまで、不思議とよい縁だけを引き寄せてくれたんじゃないかって気もしてる。  うん、きっと奏は上手くいく。  問題はむしろ僕の方にある。いい報告をしたいのに、自慢できるような話は何もない。  50歳近くなっての資格なし、非管理職場非営業職の事務職の求人って、本当に厳しいのな。トラウマレベルの氷河期時代の就活に、あの頃の若さとか気力とか体力といった僅かなスペックすらマイナスになった状態だ。  一度心が折れたら出掛けるのも身支度も掃除も何もかもが億劫になってしまい、気がつくと目も当てられない中高年の引きこもり生活に突入してしまっていた。  そんな所に奏がやって来たので叔父さんは猛省して奮起した。  実は奏は、失恋と失業のダブルコンボを食らった僕を心配して押しかけて来たのだという。お互い人助けのつもりでいたというわけだ。少し笑ってしまったが、確かにそれは成功したようだ。  甥の手前、あまり自堕落な生活ばかりもしていられないから遅くても昼前には起きて、体操をする事にした。  暮らしていくのに最低限の家事を終えた後は、読みたい本を読んだり音楽を聞いたりお金のかからなそうなイベントに出かけたり。スーパーの見切り品の品で創作ディナーを作り、奏の学生サービスを使って◯マゾンプライムの映画サービスを時々一緒に観たりしているーーサイダーやほうじ茶で晩酌しながら。  本当はせめて発泡酒といきたいところだが、奏はアルコールが駄目でーーいわゆる「酒臭い」臭いが苦手なんだそうだ。僕もそんなに飲めるクチじゃないし毎日、百何十円かでも金がかからないに越したことはない。  良くも悪くも今の僕は「無理をして人に合わせなくてもいい」生活の快適さに驚きつつ、そのぬるま湯にどっぷり浸かってしまっている。  奏のお陰で絶望的な孤独感も味合わずに済んでいるし、社会から取り残される焦りも組織に属していない不安も全くない。  本当に問題はないんだよーーもし僕がアラブの石油王やアメリカの不動産王の息子なんだったら全てうまく回っている。  だが現実の僕は日本国のしがない平均的庶民の家に生まれた、清く正しく美しくはない一失業者にすぎず、血と汗と涙の社畜生活の成果であるなけなしの退職金ーーさらなる将来の介護費用及び葬儀代ーーを食い潰してようやく生活している。  年金をもらえるようになるまで、いっそこれで粘ろうかという誘惑に駆られるが、支給引き延ばしに次ぐ引き延ばしで、あと十年以上も持ち堪えられそうにない。世界でも類まれな勤勉な国民性で知られた世代の親父が健在なら「日本男児たる者、いつまでもブラブラしているな」と雷を落とされる事だろう。  頑健ではないが、高血圧の他にこれといった持病も既往症もない僕の老後は意外と長いのかもしれない。奏にもあんまり迷惑かけたくないし……  

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