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もっと心躍る、喜びに満ちた歌をともに歌おう 7
恐ろしいもので、出たついでにとりあえずの買い物を済ませて家に帰ると、何を察したのか実家の母から着信履歴があった。
どうせ大したことはなくいつもの愚痴のひと通りオンパレードなんだろうけど、僕がギリギリ四十代であちらがギリギリ七十代ーー万一って事も考えなきゃならない年齢ではある。
仕事を辞めたことはまだ言ってないので、昼休みのタイミングで掛けて来たんだろう。緊急だと困るので仕方なく掛け直す。
内容はやはり愚にもつかない事だった。親戚の子ーーとは言っても、小さいときに一度会ったことがあるかどうかくらいの遠いつき合いなんだけどーーとにかく都内の、いわゆる難関の名門大学ってとこに通ってる女の子がいる。
彼ら彼女らはその他大勢の就活生とは別口で、三年の一学期辺りから一部上場企業からの勉強会の案内やら職場体験のお誘いなどでお忙しいのらしい。そうして四年次の六月前には押しも押されもせぬ大企業への内定を勝ち取るんだとか。
オチはどこにあるんだろうと思いながら仕方なく「ふうん」とか「へえ」とか相槌を打っていると
「でもねえ、女の子なのよ。一人っ子で頭がいいから親の見栄でなるべく難しい大学に入れたいのはわかるけど。昔は、ちゃんとした親なら縁遠くなるって敬遠したものよ」
「『昔は』でしょ。今は女性の総合職も議員ももっと増やせって世の中だから、本人に能力とやる気があるならいいんじゃない」
んん?これってもしかして、妬みと見せかけた僕への当て擦りなのか?ン十年前の事を今さら根に持たれてもなあ……
「奏はどうしてるの?大学に戻りそうなの?有名大学ってわけじゃなし、のんびりなんかしていられないのよ」
来た。
「さあ。本人が考えて決める事だし」
僕がそう言うと、
「あなたはどうしてそういい加減で当てにならないの?だいたいあなた達は奏を甘やかし過ぎなんじゃないの?せめて長男のあなたが五十近くまで独り身でフラフラしてるんじゃなくて、ちゃんと結婚して孫の一人でも顔を見せてくれれば」
と、いつものお決まりのウンザリする定形文だ。もし孫が一人じゃなく二人だったとして、だからってどうだっていうんだ。
「奏の就活と、僕の事は関係無いだろう。もう切るね」
電話の向こうでまだワアワア喚かれたが、構わず切った。
他人の家の子と比べてストレス溜まるんなら、わざわざ出かけてまでそういう情報をせっせと仕入れて来なきゃいいのに。
奏が大学に戻って就活を再開するつもりでいる事を、当分は知らせない方がいいだろうと思った。あの調子であれこれ喚いて的外れの発破なんか掛けられた日には、せっかく芽生えた本人のやる気がマイナスまでゴッソリこそげられてしまう。
それにしてもーー母の権威主義に感化されたわけではないが、入試の倍率と難易度で大学が格付けされるのはまだしも、それだけで四年後の就職活動にまであからさまな格差があるのはやっぱり釈然としない。就職氷河期だった僕らの頃より差別が酷くないか?
それがわかっているから都会の親達は塾だお受験だとまだ小さくて感性の柔らかいうちから我が子を偏った知識の檻の中に追い立てるのだろうが。人生そんな生き急ぐよりもっと大事なものがあるーーなんて落伍者のぼくが言っても説得力無いか。
有名大学を出て大企業の社員、あるいは士業か博士か官僚かーー両親の定義するテンプレ通りの自慢の息子に僕がなれなかった意趣返しに、孫に無理な期待をするのだけはやめてほしい。
自分は押しも押されもせぬ後期高齢者で、娘も息子も人生のハーフタイムを既に過ぎてるってのに一体何と戦うつもりなんだ。
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