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優しい魔法が、絆を再び 2

 つい話が辛気臭くなった。  気分を変えて散歩に出てみよう。今日は本当に四月らしい穏やかな、いい日和だ。広い農地の中に虫食い状に広がる住宅街、そのさらに向こうは柔らかい緑に煙った赤城山と年間好天日が全国トップレベルの青空だ。  並木の桜は散ってしまったが、住宅地の庭々ではもうすぐユキヤナギとドウタンツツジとハナミズキがベルトーンのように次々と咲くだろう。  温暖なだけが取り柄の街だったのにここ数年ほどは真冬と猛暑しかない。真冬並の寒波がきたかと思えば一度晴れるともう夏日で、この時期の観測史上最高気温が云々という騒ぎになる。春秋物の出番が無い。  地球温暖化による異常気象か、と毎年こぼしているうちに気候がおかしいのがだんだん当たり前になりつつある。  小学生の頃の奏はこだわりが強くて、真夏以外は半袖Tシャツの上にフリースジャケットというのが定番の出立ちだったんだけど、今になってみるとむしろそっちの方が理にかなっているような気がして真似しているよ。  ついでに近所のスーパーに足を向ける。またハローワークに行かなきゃいけないと思うが、そっちはずるずる先延ばしにしている。  十数年前、この界隈に住み始めた頃は以前住アパートの近所も昼間のスーパーも幼稚園くらいの子どもを連れた奥さんだらけだった。  当時の偉い人が総活躍社会だと発破をかけたせいか、いよいよ異次元の少子高齢化社会に突入したからかは知らないが、この時間は年金暮らしのお年寄りばかりだ。  時代が変わるのは世の常だが、何がどう変わろうと「定職につかずにぶらぶらするいい年をした中年男性」への世間の白い目ってのは未来永劫変わりそうにない。だが平日のこの時間、現役世代は仕事に出ているから近所の顔見知りの奥さんにばったり会って「あら、ご主人お休み?」なんて聞かれる心配はない。   いや、そもそも近所づきあいってもんがないんだから別にいいんだけどさ。  お惣菜コーナーの豚カツに半額シールが貼られていたから、晩飯はソースカツ丼にしてやったら奏喜ぶかな、なんて思っていたらコーナーに日参している風の達人老夫婦に秒差でかっさらわれてしまった。  うっすら涙が滲んできた。  半額で買えなかったことが悔しいわけでも、できたてのトンカツ一つ定額で買う金がないのが悲しいわけでもない……いや、やっぱり悲しいかな。  これでも働かざる者食うべからず、がモットーの戦後高度経済成長世代の親に育てられた身だから時々こうして我に返るのさーー何でこうなった?いつまで続くのさ?  仕事さえ見つかればなあ……贅沢は言わないからこんな僕でも続けられて、できれば生死の境まで時間を切り売りしたり、自尊心を擦り減らされずに済んで、人から感謝される仕事……ってあれ、充分贅沢なのか?  唯人さんといた頃、僕は「自分は無価値な人間なのはないか」なんて疑ったことすらなかった。それも元々僕がどうしようもないダメ人間で、唯人さんがフォローしてくれたからやっとどうにか一人前弱の役目ができたんじゃないかって気すらしている。  ひたすら昔に戻りたい。  唯人さんといられた頃ならいつでも構わない。 ーーああ、いかんいかん。こんな後ろ向きじゃまた、就活に戻って一杯一杯で頑張っている奏に余計な心配を掛けてしまう。  僕は気を取り直し、次の戦利品を物色した。  野菜売り場に去年のじゃがいもの詰め放題ワゴンが置いてあった。ウェイトトレーニングのつもりで持てるだけ詰めた。これとセールの豚挽肉で今夜のおかずは肉じゃがに変更だ。  家に帰り、流しに立ってじゃがいもの皮を厚めに剥き、毒のある芽を無心でほじくっていた。聞き流していたラジオから突然、懐かしい曲が流れたーーヴァーツラフ・ネリベル作曲「フェスディーヴォ」ーー甲子園常連である某高校の野球応援でも知られる、20世紀吹奏楽の名曲だ。そして僕の高校最後のコンクールの自由曲ーー今から軽く四半世紀以上前のステージ上に僕の意識は飛んだ。

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