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もっと心躍る、喜びに満ちた歌をともに歌おう 3

 唯人に事情を話したところ、快くオーケーしてくれた。ただし「奏はみんなよりほんの少し元気がいいだけで、普通にいい子じゃないか」という反応だったけど。唯人のこういう懐の深さを僕は尊敬していたし、愛してもいた。  元々社交的で人の役に立つのが好きな人だったから、見た目の素敵さと相まって陰キャな僕にはとにかく眩しかったのだ。  それはそうと、何か食い違いがあった時に一方的に傷つけたりしないために遅まきながら初心者向けのお薦め本を送ってもらい、一緒に勉強した。  例えば、本人の特性によりトラブルやハプニングが起きた時である。よく例示されるのは「風呂のお湯を入れているから見ていて」と言われた時に、お湯が溢れても「ただ黙って見ていた」というエピソードだ。けっこう「あるある」な話らしいが、奏に関してはそっくりそのままのテンプレを見たことはない。が、似たような出来事はあった。そもそも最近のお風呂ってだいたい自動給湯なんじゃ……って、話がそれた。  ただ一方的に叱っては精神的な成長や情緒の安定という面でのマイナスしかない。そもそもこちらが「風呂を入れる」という作業を頼む時に「この位置までお湯が入ったら止めて、蓋をして欲しい」という事を明確に指示しなければならない。  そして頼まれた事ができた時や適切な行動がとれた時は必ず「感謝の言葉」や「適切な行動」である事を伝え、成功体験を積み重ねさせる、やむを得ず叱らなければならない時はその場で、冷静な態度で端的に理由を説明する、など。  一ヶ月弱の共同生活で、細かい失敗はお互い色々あったが、思い出す限り大きなトラブルは無かった。ズボラな男三人の、むさ苦しくもいい加減生活が性に合ったのかもしれない。  とは言え、最低限のルールは守らせたーー例えば僕らの二人ともが仕事に行っている間は、奏も分担した家事をこなした後、図書館で本を読むなり公園で運動するなり、部屋にこもってゲームをする以外の時間を過ごす事、とか。 「僕らが一緒の休みの日は家に帰る」という約束だったんだが、僕らがそうしたかったので、やっぱり色んな場所に連れて行って遊んだ。  家に一日いて、僕らの時代の懐かしゲーム大会をやった事もある。唯人がレトロゲーム互換機なる物を知人から借りて来た(そんな物あるんだ!)  その人は「レトロゲーム復活剤」なるものもセットで貸してくれたそうで、ン十年ぶりに引っ張り出したゲームソフトの端子を掃除して僕のパソコンに繋ぎ、ドキドキしながら起動した。ちゃんと動いた時には奏そっちのけで僕らの方が歓声をあげた。しかも高画質。  奏が昔やってたゲームの初代シリーズとかが色々新鮮だったらしく、僕らもゲーム自体が久しぶりだったので対戦中もあり得ない自爆ミスなど連発してしまい、三人でゲラゲラ笑いっぱなしだった。  修正せずに当時に近い画像でプレイする事もできるんだそうだが、地上デジタル登場以来、いかに僕らが実物も裸足で逃げ出しそうな高画質に慣れ、最新の技術を駆使しては愚にもつかないコンテンツを消費しているのかがわかる。 「受容して見守る」と言えば聞こえはいいが、僕も彼も、精神年齢は中学生時代から大して成長してないのかもしれない。  説教やカウンセリングめいた事は僕は苦手だし、唯人も親切とお節介の区別はわきまえていた。が、くだらない話や好きな事の話はたくさんした。  三週間もすると奏は姉と二人暮らしの自宅に戻ると言い出した。 「黙って背中で語る」事を意識したわけではないが、休日は「愉快なおじさん二人組」の僕らも普段の平日は社会の一員として責任を負い、地道にコツコツ働いている。その事実に何か思う事があったのだろうか。  その後も紆余曲折はあったのだが、奏はフリースクールと高卒認定試験を経て都内の工業大学に見事に受かった。自分の合格発表の時より嬉しく、やれやれと胸を撫で下ろしたのが4年前ーー本当につい昨日の頃のようなんだが。年取ったのかな。  初めて支援員、あるいはサポーター的な大人の支えなしに全く新しい環境で、定型発達の見知らぬ若者達と一緒に学ぶ事になった奏はしかし、大学の自由度の高いシステムの中で得意な科目だけを勉強する環境に適応できたようだ。 「計画性」「効率」といった概念が苦手だと思っていたのに、交通費の節約と留年しない必要最低限の単位だけを取るためにスキルを全振りした甲斐あって、姉曰く「となりのトトロに出てくる主人公姉妹のパパのように、週に何度か思い出したように大学に行く生活」だったらしい。  僕らとはSNSで近況を確認し合ったり、法事の時に実家で顔を合わせる程度になっていた。  じっとしていられない「多動」の方も成長とともに落ち着いてこの頃にはたまに貧乏ゆすりをしたり、なんとなく手持ち無沙汰にウロウロする事があるーーという程度には落ち着いていた。  安堵したのもつかの間、大学三年になると座学と平行で卒論の準備をしたり、僕らの頃より一年近く前倒しになった就活のマルチタスクで調子を崩した奏はオーバーワークで休学する事となった。そして再び、独り者ver.の僕の所にやって来たーーという訳。

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