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もっと心躍る、喜びに満ちた歌をともに歌おう 4

「汚なっ!」  かれこれ一年半ぶりくらいに元・愛の巣であった我が家に足を踏み入れた奏は開口一番、遠慮なくそう言った。悪かったな。  ADHDの特徴の一つとして「思いついた事をそのまま言ってしまう」ーーじゃなくて、「片付けが苦手である」という事が挙げられる。僕自身にもその要素は多分にありそうだーーだが、五十路を間近に15年同居していた恋人に出て行かれた上に長年勤めた職場もリストラされたら、無気力の中年引きこもりと化して周りは眠り姫の茨の森ならぬ埃だらけのゴミ屋敷に化そうというものだ。 「これでも片付けたんだけどな」  これは本当。努力はした。 「奏の部屋は、唯人の部屋をそのまま使えばいい。そこだけは綺麗だから」 「本当だ。ありがとう」  奏は僕の寝室と同じ間取りの、布団以外ほとんど何も置かれていない部屋に入ると僕と元の部屋の主のどちらに向けてでもなく礼を言った。  自称「ズボラで大雑把」な唯人の家事スキルは実はメチャメチャ高かった。僕も真似して同じようにしてるはずなのに、出来高が全然違うんだもの。 「唯人さん、本当に出てっちゃったんだね」  オーディオセットやパソコンデスクを運び出した跡がはっきりわかる部屋を見渡しながら奏にしみじみそう言われると、目に見えない傷口がまたしくしく痛んだ。  唯人と僕が単なるルームメイトではなく人生のパートナーとして一緒に暮らしているーーという事実は奏はここに出入りしているうちになんとなく、姉は唯人とも会って何年かかけて受け入れ、理解してくれていた。  実家の親は口を開けはやれ結婚しろだの、死ぬ前に孫の顔見せろだのーー特に母が煩い人で理解されないだけならまだしも、単純な話をワイドショーのコメンターばりにあれこれ騒ぎ立ててカオス級にややこしくする天才だから、一生黙っているつもりだった。ただ、取り繕うのが面倒臭くて年々実家から足が遠のきっぱなしになっていたのは確かた。  僕が実家から高校に通っていた頃ーー父は元々口数の少ない昭和の親父然とした頑固者だったが、母は普通に世話好きの優しい、いい母だったように思う。それでも無意識に感じる正体不明の圧はあって、現役の大学受験で第三志望まで失敗した僕に「浪人してワンランクでも上のレベルの大学に」と強弁する母に初めて反発し、遠く北関東のーー本来は第六志望くらいだった母校に都落ちした。  一人暮らしも田舎暮らしも人生で一度はやってみたかった事なので、それほど悲壮感はなかった。  とは言っても大学があるくらいの街だから、「田舎暮らし」の方は実家のあるニュータウンより少し便が悪くてお節介で親切な人がほんの少し多い、という程度だった。  さすがに山系の観光スポットや温泉観光地は近かったので、ごくゆるいアウトドアサークルに入ったりしながら四年間の自由とモラトリアムを満喫し、就職したら東京に戻るつもりでいた。  だが、就職氷河期の荒波は厳しく、内定がもらえたのは県内優良企業である元職場だけだった。そのお陰で近くにある社員御用達のカフェに勤めていた唯人に会えたのだから人生、何が幸いするかわからない。  シンプルで洗練された店内と、美しくカリグラフされた斜体字のメニューにぴったりの雰囲気と親切な接客が評判で、女性客からもモテモテのバリスターーそれが唯人だった。  最初は僕より若そうなのにずいぶんしっかりしているなあと思っていたが、通っているうちに三歳年上だとわかった。その頃には僕はもう唯人に片思いをしていた。  僕ときたら見た目もパッとせずセンスも十人並、瞬時に空気を読んでノリのいい返しの一つもできないドン臭い常連客の一人だ。  あまりに不釣り合いだし、しかも同姓だし……多くは望まなかった。もし彼女がいるならその存在は上手く隠しておいてくれて、僕の生活圏の中に唯人がいてくれれば十分幸せだった。ずっと独身でいてくれたらなお良しーー今で言う「推し」に近い感覚だった。  一方、唯人は唯人で僕のことを「繊細で聞き上手な優しい人」と善意に誤解してくれていた。それは表向き、人に逆らわないように傷つけないように振る舞うのが、これといって取り柄のない僕の処世術だったというだけなのだが。  ならば、と彼の目に映っているであろう僕をさらに必死に演じ続けた。決して偽善ではなく人生の真っ向勝負、恋の駆け引きだ。  努力の甲斐あって、お互いの長い両片思いが通じ合った時の多幸感は、今でも現実の僕じゃなくて不朽の名作映画の中の一コマだったんじゃないかと思うほどだ。

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