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もっと心躍る、喜びに満ちた歌をともに歌おう 5

 長年彼と一緒にいるうちにいつの間にか、根っこは劣等感の裏返しで人嫌いの皮肉屋なのに、照れ屋の気遣い屋で人一倍善意に満ちたごくごくまともな人間ーー元々自分はそういう人間だったのだと思い込むようになっていた。  今だから言うが、唯人さんに冷たい人だと思われたくなくて奏の面倒を引き受けたような節もあるーーやかましくも可愛い盛りの奏と過ごせたのは今ではいい思い出だ。この頃の自分の人生は望月の欠けることの無い我が世の如く、完璧に近かったと思う。  若かった。  しんどかろうがやらかそうが、何をやっても楽しかったんだもの。  このまま静かに老境やら男性更年期やら諸々差し掛かり、お互い支え合いながら生きていくんだろうなあと思ってたのに。二人の時間がまさか、僕の家族や職場ではなく唯人の実家が理由で全て終わってしまうなんて。  唯人の実家は北海道にあり、僕と似たか寄ったかな事情で疎遠になっていた。僕の家と違っていたのは彼が一人っ子で去年の末に母親が亡くなり、妻に先立たれた父親もあっという間に要介護になってしまった事だった。  わざわざカミングアウトするまでもなく、長男偏重のムラ社会絡みの確執が昔から色々とあったようだし、このまま距離を置いて施設に預けっぱなしにする事も考えたそうだが。 「ここで見捨てたら人として後悔してしまうような気がする」  唯人はそう言って、一度捨てた地元に帰る決心をしたーー悲しかったけど、素晴らしく男前でカッコよかった。 「ついて来てくれ」とは言われなかった。  理由はハッキリしている。僕が捨てなきゃいけない物はいくつかあるが、客観的なメリットは無いからだ。  ググってみたら唯人の実家は、大袈裟でも何でもなく文字通り僻地の、コンビニもドンキも無く鉄道も廃線になった海沿いの限界集落だった。  そして極寒の過疎地での生活スキルはサバイバル術に近いーー室内は気密と完全暖房で暖かいものの、毎日の雪掻きと雪おろし、エアコンではない暖房器具の取り扱いと灯油の調達、凍結防止家電としての冷蔵庫、生活の為の自家用車も寒冷地&海風仕様のに買い替えねばならず、山道や雪道の運転術も身につけなければならないーーいくら「人間は適応の生物である」と言っても、北関東の冬レベルで毎年生きるか死ぬかの大騒ぎを繰り広げる寒がりには過酷すぎる。  しかもここ数年の僕は血圧が高めで、主治医から「青函トンネル以北に移住するなら命の保証はできかねる」と言われてしまった。  何より、現地で生活の為の仕事が探せるかどうか……地元の人すらそれが無くて地元を出ていくのに。下手をすると僕の方が唯人さんの足手まといになってしまう。  それでも奏くらいの頃だったら「やってみなきゃわからない!」とか何とか言って突っ走れたのかもしれない。精神年齢だけはあの時のままなのになあ。  あと十……いや、せめて五歳だけでも若かったら、僕はきっと仕事を辞めて北の大地に唯人さんを追いかけて行っただろうーーこの少し後に、会社で部署ごとリストラの憂き目に遭うなんて事、全然知らなくても。  ああ、歳なんかとりたくない。  唯人と二人一緒なら、歳をとるのだって全然憂鬱でも怖くもなかったのに。若返りの魔法の解けたファウスト博士か玉手箱を開けてしまった浦島太郎よろしく、自分の老いを今更ながら嘆いては恨んでいる。  

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