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心の友とか神推し 4

「わたしが一番きれいだったとき」という詩を昔、国語の時間に習ったが、僕は若い頃ですら見るからにインドアなオタク風のパッとしない風貌で、一般受けしそうな社交性にも「一芸に生きる」的な才能にも恵まれなかった。  無い物ねだりをしても仕方ないので甘んじてそれを受け入れて生きてきたのに、この上さらに「ほぼ五十路のしょぼくれた、対人スキル皆無の無職のオッサン」というマイナスの属性までつけ加えられて途方にくれている。  普通免許以外の資格もビジネススキルもなく、ましてやキムタクでもない。冴えないオタクおじさんの「ロングバケーション」なんて次なるテイクオフのためのリフレッシュどころかタイムロス&ハンデにしかならない(あれ、何かのユニット名みたいだな) 「自分を見直す」と言い訳しつつ怠惰と人嫌い度が加速しただけだしな。いや、上手いことを言おうとしている場合ではない。  時というのは残酷なほど公平で、金が唸るほどあってアンチエイジング三昧だろうが精神の未熟さを「心は永遠の少年」なんて陳腐なセリフで誤魔化そうが若さと体力だけはどんどん失われてオッサンになり、やがてジイサンとなるーー今の六十や七十歳の人達も「自分が六十や七十になるなんて思わなかった!」なんて叫んでたのだろうか?  今からでも生き甲斐を見つけたり、努力してカッコいいシニアを目指せばいいじゃん!という向きもいるだろう。奏もそう言いそうだし僕だってできることならそっちの方に行きたいと思う。  けど、人の本質なんて年をとった程度でそう変わるものでもない。できたら一生、大人になんかならずにいたかった人なので「子ども部屋おじさん」からの「高齢引きこもり」にアップデートせずに済んだだけでも上等だーーぎりぎりのところで踏みとどまっているだけだという自覚はあるけど。  唯人さんがそばにいてくれた時は、そんな事考えもしなかった。過去のコンプレックスと一緒に全く忘れてしまえていたのにーー "しーんぱーいないさあーっ"  じゃなかった、 "なーぐーさめーもー涙もいーらーないーさー"  っていう昭和歌謡があったけど、 "心の友も、神推しもいらないさ、目先の仕事がほしいだけ"  と、つくづく思う。うん。  前者はどちらも既に出会って、そして別れてしまったから。

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