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できなきゃ夕日に向かって走っとけ! 1
Ja,wer auch nur eine Seele Sein nennt auf dem Erdenrund!
(そうだ!この世にたった一人でも、人生を共に歩める人に出会えたなら!)
Und wer's nie gekonnt, der stehle weinend sich aus dissem Bund.
(できなきゃそっ閉じして、夕陽に向かって走っとけ)
ハローワークの帰りにコンビニでいくらか現金を下ろし、時間はまだかなり早かったがガソリン代節約も兼ねて今夜の会場である「市民文化センター」に行き、奏のついでにこしらえたおにぎりで腹ごしらえをしてから2階にある図書室で時間を潰した。
僕が入社したての若造の頃、この建物はまだ真新しかった。当時は国もマスコミもベビーブーム世代の大量退職を見越して「生涯学習」ってのをやたら喧伝していて、鳴物入りで建てられたのを覚えている。
その時はたまたま前を通り過ぎるくらいでほとんど縁はなかったのだがーーいや、確か雨の日に奏を遊ばせるネタに困った時に、プレイルームがあると聞いて一回くらい連れて来たかーー何十年も経って会社を辞めてからこんな形で世話になるなんて思ってなかった。
もっとも今や、未来予測の斜め上を行って「一億総生涯労働時代」になりつつあるが。
そのせいかだいぶ雰囲気が暗い。まるで巨大な暗がりを抱えた大きな箱のようだ。いや、ただ単に図書館が閉館して、省エネのために館内の照明が半分くらいになったからなんだろうけど。
図書館と自主サークル用の講座室やら視聴覚室やらが並んでいるその階下、一階には今日の会場の多目的ホールとその前にロビーや作品の展示スペースなどがあり、二階の吹き抜けから様子が見渡せる。ホールが今日の結団式会場兼今後の練習場所だ。
入団するかどうかはまだ迷っていた。
今日は事務職以外の求人にも履歴書を出して来たのだが、決まる保証はない。当面の生活費を下ろしてはきたが、在職中の貯金を取り崩して暮らす今の僕に二万円の出費(プラス楽譜代)は大きい。
クラシック、ベートーヴェン、交響曲……嫌いではないが、かといってこれまであまり縁がなかった。第九の演奏は動画サイトにプロからアマチュアまでそれこそいくつもアップされているので、いくつか選んで聴いてみた。
全部聴くと(指揮者にもよるが)一時間前後ーー長え。
合唱部分だけだと10分と少し……それだって吹奏楽部時代の定期演奏会やコンクールでやったどの曲よりも長いが、ソロやオーケストラだけが演奏する休符の部分もかなりあるし、正味の演奏時間は歌う耐久レースばり……ってこともなさそうだ。きっと自分が歌っている分にはあっという間なんだろう。そんなことより。
僕が吹奏楽部時代にやった曲は「グレード(難易度)」が設定されていてコンクールや演奏会で演奏したのは初心者〜中級者用のアレンジ作品やスクールバンド用に作曲されたオリジナル曲だった。合唱部経験者もおそらくそうだろう。
だが、ベートーヴェンはかれこれ250年ぐらい前の人である。アマチュア愛好家に合わせて合唱曲や交響曲を書くなんて事はしていないはずだ(ピアノ曲には「エリーゼのために」のような例外もある)
ーープロと同じ楽譜で演奏するって事だよなあ……しかもドイツ語。
ーー難しくて途中で辞めてしまうかもしれないしなあ……
巨大な暗がりを抱えたコンクリートの箱の中のその一角だけが、何かの祭りのように灯りがともり、外からどんどん人がやって来る。チラシにある開始時間よりだいぶ早いというのに、運営側らしき人達の他にも数十人ほどの人がお喋りをしながら会場が開くのを待っている。
「え、行列のできる第九合唱団?」
きっと普段より少しお洒落をした知的な雰囲気の老若男女ーー「老」と「女」が気持ち多めかもしれない。枯れ木も山の……いや、ゲフンゲフン。
唯人を誘ったという元常連さんもまだ参加し続けているんだろうか?でも、会ってもきっとわからないよな……名前も知らないし。
「受付始めまーす」
よく通る、しかし柔らかな誰かのバリトンの声がロビーじゅうに響き、思わず惚れ惚れした。
いわゆる「イケボ」ってやつだ。
ーー一応、話だけでも聞いてみるかな。
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