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翼に乗り、穏やかな世界で 2

 次の日、姉から電話が来た。  奏の事ではなくーー前期の単位は昨年取ってあるそうで、何故かこちらでバイトをしながら就活関係で行ったり来たりしている。まあいいけど。  実家の近所の駄菓子屋のおじさんが亡くなったそうだ。駄菓子屋というよりは兼・よろず屋みたいな店で、僕が物心ついた時からあった店だ。もしかするとニュータウンができた時からあったのかもしれない。  お使いを頼まれて行くと「偉いねえ。十円おまけだ!」おやつを買いに行くと「はいッおつり百万円!」と伝統芸級のしょうもない冗談をかましたりサービスしたりしてくれたりするのだった。  中学になって以降はさすがに駄菓子のために日参する事もなくなり脚が遠のいていたが、やはりたまにお使いを頼まれて渋々行くと、 「よう、ナオ坊。大きくなったなあ」  とひどく感動されるのがかえって気恥ずかしかったりした。  午後から夕方にかけてのよろず屋のゴールデンタイム。僕と似たかよったかの、ちょっと冴えないキャラの友人達と駄菓子を買いにいくと、店のおばさんを囲んでだらだらとだべっている近所のおばさん達が、僕らにもあれこれとどうでもいいようなことを話しかけてきた。  思春期にはさすがにうっとおしいと思ったものだが、無視もできないから適当に相槌を打った。こういう環境下では育つとたとえ「盗んだバイクで走り出」したくなったとしてもかなりハードルが高い。「地域で見守り」なんてスローガンをわざわざ掲げるまでもなかった時代の、僕は幸せな子どもだった。  僕はおじさんに恩義がある。  奏の世代には理解できないかもしれないが、僕らの頃にはガキ大将がいて子分がいて、いじめられっ子もいたけど救済役やクッション役がちゃんといて……という某国民アニメさながらのご近所の異年齢&混成子ども集団がまだギリギリ現在だった。  だからっていい事ばかりではない。子ども時代の僕はひょろくて運動も苦手で、クラスカーストの底辺というなかなかの暗黒時代だった。 それで学校の行き帰り、近所の年上の子達にもからかわれたり、意地悪く構われたりていた。  ある時、おじさんが見かねて奴らを怒鳴り飛ばしてくれたのだ。普段は温厚でつまらないダジャレばっかり言っているおじさんにカミナリを落とされのがよほどショックだったのか、奴らはすっかり大人しくなり僕は数段快適な小学生時代を過ごすことができたのだ。  もう「荒れる学校」の時代ではなかったはずなのだが、地元の中学校ではヤンキーが幅を利かせていた。類友だと思ってた幼馴染の中にもそっちに走ってしまった奴がいる。  今思えば僕だってそっち側に行ってもおかしくなかったのだが、「よう、ナオ坊。大きくなったなぁ」と感激してくれるこのおじさんにがっかりされるような自分になりたくなくて、踏みとどまれたような気がする。  もう二十年くらい前になるが、実家に帰った時、思い立ってよちよち歩きの奏を連れて行ったらものすごく喜ばれた。一人で出歩くようになるとすっかり息投合したそうだ。  僕だってひと昔前なら「爺さん」呼ばわりされておかしくないような年なんだから、おじさんだって天寿なんだろう。  だがショックだ。世間一般的には赤の他人だが、心情的には親戚みたいなものだ。どうせ暇だし葬式に参列したいと思ったのだが。 「家族葬なんですって。町内会長さんがご近所代表でご挨拶に行くそうよ」  新型コロナ騒ぎ以来、ずっとこんなのばっかりだな。虚礼廃止には大賛成だが、人生の恩人にお別れも言えないのは少し辛い。香典も町内で額の取り決めがあり、実家で出すというので弔電だけ送ることにした。 「息子さんが近くに住んでいるそうだから、お盆にでも行って拝んであげたら。ナオ君、ずっとこっちに帰って来てないでしょう」  そこの家の場所だけ聞いて、実家はスルーできないもんだろうか。やっぱり気が重い。 「おばさんは元気なの?」 「それが、二年くらい前から施設にいるのよ」  それでもおじさんは遠くまで買い物にいけない老人世帯やコアな顧客であるごく一部の子ども達のために赤字覚悟で一人で切り盛りしていたんだそうだ。 「お店の棚も半分以上空っぽで、ずいぶん寂しくなってたわ。今の子ども達は学校が終わると塾や学童保育だし、大人は車でショッピングモールだしね」

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