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翼に乗り、穏やかな世界で 3

 奏も知ってる人だしと思って一応、おじさんの訃報を伝えたら覚えてはいたものの「えっ、それまで生きてたんだ」という反応だったーー驚くのそこかよ。  おじさんは僕が子どもの頃からよろず屋のおじさんだったし、客が奏に世代交代したのを見て余計に、よろず屋のおじさんという生き物は未来永劫、近所の子どもを相手に駄菓子を売ってるもんだと思いこんでいたーー少し考えたらそんなことあるはずないんだけどさ。  この街にも、駄菓子屋ではないが引っ越ししたてのまだ学生の頃、近所の商店街に強烈な八百屋のおじさんがいた。自炊でもしようと初めて訪れた時、「そこにお金置いて、好きなん持ってって」と怒ったような口調で顎をしゃくるのには驚いた。  余所者だからぞんざいにされているのか?と勘ぐったが、そのうち誰に対してもこんなノリなんだとわかった。上州弁の語感の荒さと、職人気質なおじさんの「気短か」な性格がハイブリッドすると「あのぅ、怒ってる……?」風の接客になる。  そんな商売っ気も愛想もゼロのオッサンには必ず社交的でおしゃべり好き、おまけ好きの奥さんがうまい具合にくっついていてフォローしている。会計の途中で派手な夫婦喧嘩を始められてしまった時には参ったが……「上州名物かかあ天下」ってのはきっとこのへんからきてるんだろう。  恐るべきことに、街のあちこちでこんな感じの名物店主夫婦がテンプレなのだ(時に「上州名物焼きまんじゅう」とセットだったり、「怒鳴る」オバさんver.があったりする)  これぞかの国定忠治伝来の「上州式販促法」だーーと言ったら他所から来た人は全員信じちゃうんじゃないかな。  その頃、学生アパート(と八百屋)があった界隈は少し郊外に出ると赤城山の麓に二毛作の麦畑と屋敷林の昔の農村地帯が広がっていた。  間もなくその風景の真ん中にバイパスが通り、真新しい大きなショッピングモールができると、田畑は耕し手がいなくなったところから金太郎飴の分譲地に化け、商店街の店も少しずつ歯が抜けるように閉じられた。  唯人と暮らすことを決めて引っ越すまで時々、僕はビビりながらも怒るオッサンの八百屋に立ち寄ったーー何だかんだ安くて美味しいし、機嫌が良いと(怒鳴り声で)おまけしてくれるので。  この前、十年近くぶりにその八百屋があった辺りを通りかかったらあたり一面、再開発で分譲用の更地になっており、カラフルなのぼりが何本も立っていた。車を停めて歩いてみたが、あの八百屋のあった場所は全くわからなくなっていた。  今になってよさのわかるあの時代のあれこれを奏の世代に受け渡してやりたいと思っても、それらはほとんど、とっくの昔に無くなってしまっている。寂しいしもどかしいが、僕ら世代にも多分に責任があるように思う。  かくいう僕も、日々の買い物のほとんどを大型スーパーやドラッグストアですませてしまっているからな。  いつの間にか昔ながらの駄菓子がコンビニに並ぶようになっていた。が、それを買いに来た子ども同士でたむろすることはなく、大人が一緒に着いてきて行儀良くしている。若く愛想のよい店員たちがマニュアル敬語で丁寧に接客してくれるが、それ以上でもそれ以下でもない。  人を不快にさせないやり方が必ず人を幸せにしてくれるとは限らない。便利でスピーディーで雨風や寒暖の影響を極力受けないで済む生活が幸せな生活とイコールにならないように。  僕らにとって彼らが「金太郎飴の店員の中の誰か」でしかないように僕もまた「大勢の客の中の誰か」でしかない。時々そのことに意味もなく傷ついては孤独感にさいなまれる。  店の中でお客様でいるうちは一応大切そうにされるけど、一歩店を出たらお互いまるきり赤の他人だ。僕が「△△町の藤崎直」だろうが「八丁堀の中村主水」だろうがどちらでもよく、クレーマー親のカスハラ返り討ちに遭う危険を冒してまで、わざわさ子どもを怒鳴りつけるおじさんもいないーーそれが当たり前だ。  気づくと北だろうが南だろうが街だろうが村だろうが、世の中のどこに行ってもそんな世界ばかりだ。僕らの大事な奏はそんな世界に一人、放り出されようとしている。 「誰一人失礼な人も無神経な人もいないけど、誰一人大事な人もいない」そんな世界に。  他人のぞんざいな言動に過剰に傷つきやすい僕でもときどきあのぶっきらぼうな「上州式接客法」が懐かしくなる時がある。

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