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SDGsでいこう 5
唯人さん。第九の練習が始まった。
夜六時過ぎに結団式と同じホールに着いた。
本来の開始時間は七時からだが、六時半から僕ら新入団員のフォローのための時間が設けられている。
受付でできたてのネームプレートを受け取り、プレートについてるバーコードをスキャナーにかざして出欠をとる。
以前は紙の出席簿にセルフで丸印のゴム判を押してたそうだが、例のパンデミック騒動以来、この方式になったという。世の中、元に戻りつつあるようで決して戻らないものもあるんだろう。これとか、キャッシュレスとかマイナンバーカードの健康保険証とか。
参加者の動線に合わせて、隣の机には県内で行われるクラシック系の音楽会や他団体の発表会のチラシがセルフ式で置いてある。チラシの持ち帰りは任意だが毎週発行の「中毛第九だより」だけは大事なお知らせが書いてあるので必ず持ち帰って熟読しなければならない。
少数派だが、仕事帰りらしくオフィスファッションの人もいる。若い人中心の団体だったら連絡もお便りもSNSでやっちゃうんだろうな。僕はリタイア組に準じて地味色のポロシャツとベージュチノパンという可もなく不可もない普段着だ。
「おうっ、あんちゃん来たな」
あ。斎木さんだ。スーツより今日のポロシャツ姿の方が似合っている。
「こんばんは」
「ずいぶん早ぇな。やる気がみなぎってんなぁ。感心感心」
いや、ここの図書館が6時閉館だからだ。早い時間に来たことをすぐモチベーションとか査定の評価と結びつけたがるから日本の企業は生産性が低いんだ。昭和の悪弊だよなあ……まあ、関係無くはないが。
「あんちゃん、申込書にパートの希望書いてねえべ」
「あ、よくわからなかったので……」
第九の合唱部分は四声の混声合唱からなる。高音から順に女声のソプラノ、アルト、男声のテノール、バス。入団の申し込み用紙にパートの希望を書く欄があったが、合唱なんて中学の時の音楽の授業以来だから自分の声域なんてよくわからない。
「おーたん」も「二、三回練習してみて決めればいい」って言ってたし。
「若えんだからテノールだんべ」
斎木さんは何故か「新入団員パート希望調査」という用紙を手に待っていて、僕のところに「T」と書いてしまった。
「ちょっと待ってくださいよ。何で若いとテノールなんですか」
「テノールは毎年足りねえんだよ」
いや、そういう話じゃない。「トランペットは一杯でユーフォニウムがが足りないから、そっちに回ってくれ」みたいなノリで言われてもーー実際、僕の人生ってこんな事ばかりだ。
「年とってくると高え声が出なくなるんだよ。出せるうちに出しとけ」
だからそういう問題じゃないっての。
「でも、テノールって相当高音ですよね?出せなきゃできないでしょう」
聞きかじった話だが、時には女声パートより高い声部を歌うこともあるらしい。
「最高音ってどれくらいですか」
「実音でA4だな」
おや、と思った。
「あ、ピアノの真ん中のドの上のラ、な」
「わかります。昔、楽器やってたんで」
「真ん中らへんのラ」とでも答えてくれたらいい方だと思ってたのに。
「って、かなり高いですよね」
ユーフォニウムでも出せる人は出せるが、ちなみに僕には無理だった。ユーフォニウムは中低音楽器だが、それをやっていたから声も低音が出せる……というわけではもちろん、ない。
「やっぱり無理……」
「最初からぽんと出せる奴なんかいねえよ。いたとしたらまあ少なくともこんなとこにゃいねえな」
確かに。
「じゃあ普通の人はどうするんです?」
「何年も地道に発声練習をやるしかねえな。自己流はだめ、間違ってるのなんてもっての他だ。その点うちの先生は大丈夫。正しい呼吸法と発声を身につけて声帯が鳴るようになって、それで初めて音域が広がる」
「ふうん」
こういう「道は遙か」的な……やや精神論じみたハウトゥを語って聞かされるのはいつぶりだろう。
部活時代は男の先輩や同期が少数派なのにやたら熱くて、練習の合間にマニアックな音楽論とか楽器論とかの聞き役に回るのが僕の日常だった。奏くらいの若い人にはそれこそ「うざい」「重い」と思われるのかもしれないが。
「感情に任せて頭ごなしに怒鳴る」のや「ネチネチと小言を言われる」のではなく「熱く語られる」というのは「自分と比肩する、またはその見込みのある人物である」と思われているからだ。何を言っても無駄だからと諦められて黙ってフォローされるよりよほど愛情がある。
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