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SDGsでいこう 4

 奏は姉と話し合って一旦、障害者雇用枠で就活をやり直す事にしたのだが、ここにきてまた一般採用枠をクローズで受けたいと言い出した。  おそらく一般採用でなければ、学部や専攻で学んだ知識を生かせるような仕事が無いのだろう。氷河期時代に就活生だった僕もそれでずいぶんと悩んだから、気持ちはわかる。  姉と僕は、顔を見ながらケアできるよう、どちらかの自宅から通えるところで、職場に理解があって人間関係が円満なところがいいと考えている。  一口に「発達障害」と括られているが要は脳の百人百様の脳の特性なのだ。シナプスのつながり方が他の九割の人達と異なるだけで、適切な時期に診断や療育を受けることで就労や自立が可能になる。  大人になった奏とのコミュニケーションもなかなか「ぬるぽ」と言ったら「ガッ!」(知ってる……?)というわけにはいかない。  納得したり理解したりするまでに手間暇や時間が必要なこともある。定型発達者同士のコミュニケーションはその「ひと手間」を阿吽の呼吸ですっ飛ばして効率的に進んでいる。それだけのことだ。  コミュニケーションがスピーディーでない者、多数派に同調できない者を唯人さんのように「面白くてユニークな子」と受け入れてくれる集団ならいいが、「空気が読めない奴」「面倒くさい奴」と否定的にとられると孤立したりいじめのターゲットになってしまったりして精神を病んでしまう。深刻なのは障害の有無ではなくそういった「二次障害」の方だ。  姉が荒波続きの奏の子育てをどうにか乗り越えかけているように思えた頃、「発達障害」という概念が急に市民権を得始めた。  だが、何もある日突然人類にそういうハンデが降りかかってきたわけではない。「変わった人」「人づき合いの苦手な人」と思われながら社会生活を営んでいる人、あるいは人間関係につまづいて営めなくなった人の一部には、そういうハンデを抱えていながら本人も周囲も気づいていない、そういう人たちが少なからず含まれている。「大人の発達障害」ってやつだ。 「障害を本人が認めたがらない」ケースも多いそうだが、奏も自分自身が痛いわけでも熱があってしんどいわけでもないので、通院や療育に通うのを納得させるまで相当骨が折れたと聞いた。  今回の件も似たような事で、奏自身の間にも葛藤があるんだと思う。それでもやる気を出して友人と情報交換したり資料を集めたりしているようだからしばらく静観した方がいいのか。  拒絶とリトライを繰り返す就活の長期戦の中で不必要に自信を失わせたりはしないだろうかーーこないだまでの自分のように。  奏の成長は叔父としても嬉しいが、大人が手が出せる余地がなくなった今の状況でどこまで本人の意思を尊重して、それが最適解ではない場合、どうアドバイスしていったらいいものかーー昨夜も姉と電話で、朝方近くまで話し込んでしまった。  本人を説得し、やり甲斐や生涯賃金を犠牲にしてでも障害に配慮してくれそうな就職先を探させるべきか、それとも大人達が先回りする事なく、これまでのような幸運を信じて「ちょっと変わった男」として就活の荒波の中を自力でくぐり抜けさせるべきか。  ある程度ルーティーンが決まっていて人間関係の限られている中小企業の技術職なら、奏にもどうにかこうにか勤まるかもしれない。  昭和の時代はおそらくどんな仕事に就いてもやるべきことが毎年、毎月、あるいは毎日決まっていてーー例えば農林漁業や製造業、ご近所の知り合い相手の商売などーーコストパフォーマンスよりも狭いコミュニティ内での信頼関係が優先だった時代なら、奏のような人達も「変わった人」「元気な人」と思われる程度で居場所があったのだろう。そして社会の方も、大して便利でも豊かでもなかったなりに受容する余力があったのだと思う。  だが現代社会では産業構造の八割がサービス業で、大資本によるチェーン店同士の価格競争に第一義が置き換わってしまった。マニュアル通りと臨機応変を使い分ける事が求められーーしかも他先進国に例を見ない低賃金でーー定型発達の人達でさえ働き続けるほど困難を伴い、や認知症を含めた「精神疾患」は今やがんや脳卒中に並ぶ五大国民病の一つだ。  子どもならまだ「できたらほめる」「目の高さで話す」といったマニュアルが使えるけど、成人した「大人育て」の正解なんて誰も教えてくれない。世の中には「恋愛マニュアル」だの「ダイエット法」だの「自己啓発」だの、似たような類の本が埋め立て地が作れそうなくらい溢れかえっているというのに。  一人くらい「もう悩まない!就活期大人育て本の決定版!」みたいな本でも書いてくれたらいいのに。

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