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できなきゃ夕日に向かって走っとけ! 3

 ん、という事は……待てよ? 「え、課長。ここの合唱団員なんですか?」  言っては何だが、在職中は僕以上にクラシック音楽とか合唱とかいうイメージじゃなかったのに。 「もう君の上司じゃないから花田でいいよ。転職先で知人に誘われてね。いやあ、まさか藤崎君と第九が歌える日が来るなんて思わなかった。嬉しいなあ」 「いえ、あの」  入るとは言ってないのだが……  僕が勤めていたのは地元の中堅企業でもある種苗会社だった。僕がいたのは資源データ管理課といって、会社の研究部門の中でも地味な部署だった。  平均年齢高めの人畜無害な理系オタク達が定時に出社して黙々と自分の仕事をして定時に帰る、出世レースとも無縁な代わりに派閥争いや異動もない、打たれる釘だって出しゃばる前に意気消沈してしまいそうな平和な環境が僕には合っていた。  当時の課長だけは前途有望な(?)若い僕がむざむざ埋もれるのを心配して準花形部門への異動や昇進試験の受験を時々打診してきたが、僕はむしろいくばくかの賃金アップと引き換えに押しつけられる管理職としての責任やら人間関係の煩雑さに耐えられそうになかったからきっちり断っていた。  最近そんなことを言われなくなってついに諦められたのかなあ、と思ってよく考えてみると僕もかなりな年齢になってたってわけ。  課長はいい人だった。研究畑出身なんだけど今どき流行らない体育会系の人情派で、適当な距離感を保ちつつあれこれと面倒見のいい人だった。社会不適格者気味の地味男の僕のことを、職場であれこれ気にかけてくれたのは、後にも先にも課長しかいない。  一昨年、僕の会社は突然外資系の大会社に企業買収された。自分も研究畑の出身だった課長は、丸ごと切られそうだった僕らの部署を何とか残そうと頑張ってくれたのだが、新しい上層部に睨まれて辞めてしまった。  新しい課長は人員整理のために外部から来た人間だった。職場の雰囲気もずいぶん変わったーー悪い方に。課長が僕らが自負を持って仕事ができるようにどれだけ気を配り、二言目には損益がどうのと迫る人達との防波堤になってくれていた事が身を持ってわかった。  花型とはほど遠い部署だったかもしれないけど、僕らは僕らの仕事がこの会社に、いや、社会や国にとって不要な仕事だなんて思ったことは一度もない。栽培や流通にコストがかかるという理由で見向きもされなくなった絶滅寸前の在来種が何千種と保存されていたんだーーその部署が存続する限り。  せめて課長の思いに答えて、手当てを削られようが昇給が無くなろうが定年までは頑張ろうと思っていた。が、気づくとつきあいの長い人たちは全員辞めていて、ついに去年、課そのものも無くなることが決まり何十度目かの早期退職者が募られた。 「モーレツ社員」とか「企業戦士」という言葉は死語になって「社畜」と言うらしい。自発と使役の違いか……それはともかく、僕らの一生における大半の時間とエネルギーを提供させておいて、「お前ら要らないです」って繰り返しアナウンスされるなんて、そんなのあるか?  会社の名前もこれまでのいかにも地元企業然とした、名乗るのに何の気負いも感慨も要らないベタな社名だったのに突然洒落た横文字の、舌を噛みそうな社名に変わってしまった。  ちょうど唯人さんが出て行った時期とも重なり、そんなこんなでかろうじて会社に対して持っていた帰属意識がぷつんと切れてしまったーーこんなグチをだらだら書き連ねている辺り、僕にも愛社精神の一片はあったのかな。  求職活動しながらも心の奥底の、芯のところではどうも勤労意欲が湧かない。元々、社会や他人に対して抱いていた違和感やしんどさを押し殺して頑張ってしまったツケが、今になっていっぺんに出てしまっているんじゃないんだろうか。

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