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人生のボーナスアイテム 2
「「おーたん」じゃなかった
「アカリちゃんの……」と言いかけてもごもごと口ごもった。
今日の「おーたん」はアカリちゃん連れではなく、スカートでもなくTシャツにデニムパンツ姿だった。
仕事帰りなのか、今日も出遅れ気味に駆けつけたため「おーたん」の指定席はバスパートの最前列だった。今日はアカリちゃんは連れてなかったようだ。それより今日はなんと、スカートではなかった。見覚えのあるタンガリーシャツに、デニムパンツ。
髪は後ろで結えていたが、こうして見るとむちゃくちゃイケメンだよなぁ……
「アルトパートの方からお裾分けです。どうぞ?」
「ああ、いや、すみません」
あれこれ考えてぼうっと見惚れていた僕は慌てて頭を下げ、虹のようにカラフルな飴の小山に恐る恐る指を向けた。と、彼は(彼でいいんだよな?)無邪気に笑いながら中途半端に膝の上に乗せていたもう一方の手の上にユーフォーキャッチャーみたいに飴をばらばらと惜しげもなく落とした。僕はこぼさないように慌てて両手を重ねてそれを戴いた。
「あの、いいんですか、こんなに」
僕は思いもかけず向けられた好意にまだ困惑していた。彼は口の中で自分のあめ玉を転がしながらにっこり笑った。
「アルトの方から差し入れいただいたから、おすそ分け。テノールは音が高いから大変でしょ」
ああ、推しが僕を労らってくれている。何という尊さ。いたわりと友愛が僕の心を締めつけ(以下略)
「じゃ、ありがたくいただきます」
あっはっは、と背後から声がした。戻ってきた花田さんもテノールだ。
「いやあ、貴重品だよ。普段はいくらラの音頑張ってもこんなの回って来ないんだけど。この人モテるから」
だよな……やっぱり。
「そんなことありませんよ」
「おーたん」さんは謙遜したが。
「おい、独り占めしてないでこっちにもくれよ」
「してないですよ」
僕は膝の上の飴をかき集めて手のひらに乗せ、花田さんが選びやすいよう後ろの席に差し出した。列の他の人達は外で話し込んでいるのか、まだ戻っていなかった。今日は境界線で正解だ。
「飴くれるってさ」
花田さんがぽつぽつ所在なさげに座っている周囲のテノールパートに声をかけた。「いいのかい」なんて、恐る恐るの人の輪ができる。
「ごちそうさん。毎週真面目に、早くっから来てるねえ」
「団には慣れたかい?」
コミュニケーションの中心があっという間に僕になった。慣れない状況に「高齢引きこもり」メンタルの僕は汗をかく。
全体練習の時は四声に分かれる上に、今日はポジショニングにも失敗してバスパートのすぐ隣しか空いていなかった。きっとバスにつられてしまったり次の音を忘れたり、思うようにいかないのは目に見えてるから、新人のために最前列を開けるよりむしろ境界線を経験者で固めてくれよ……と思っていたくらいだったのだが、今日だけは幸運だったようだ。
「おーっ、ごっそさん」
斎木さん、バスじゃね?……まあ、元々バスパートにもらったんもんだろうけどさ。
「あれっ、藤崎さんの分は?」
しまった。浮かれすぎててキープし損ねた。
「昔なら『うすのろ間抜け』って囃されんぞ。あんちゃん、一人っ子だんべ」
斎木さんはちゃっかり飴を口に放り込んで済ましている。返せ。いや、返されても困るが。
「いいえ。姉が一人います」
「ご長男様かい。んじゃあ『総領の甚六』か『末っ子三文安い』……」
「どっちかにしてください。何ですかそのダブルスタンダード」
「全体練習始まりますよー」
花田さんはホールの内外で立ったり喋ったりしている人達に声を掛けて回っていた。
「やば、ウケる。コントみたい」
「おーたん」は可笑しそうに笑いながら席に戻って行った。恥ずかしいような申し訳ないような、悔しいような……
「おーたん」が楽しそうだったからよしとするか。
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