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できなきゃ夕日に向かって走っとけ! 5
「おお。あんちゃん、花田さんのお友達かい?」
さっきまで「新規入団申し込み」の机で所在なさそうにしていた、角刈りで職人風の年輩の男性が話しかけてきた。こっちだって五十絡みの中年男なのに「あんちゃん」呼びされるとちょっと面食らう。
「斎木さん、入団申込書あるかい」
「あるも何も。売りてえほどあるで」
花田さんよりは年上のようだが、その年代でも珍しいほどコテコテの上州弁の使い手っぷりにちょっと惚れ惚れする。
「二枚くれよ」
花田さんの中では、もう僕は入団する事になっちゃってるんだろうなあ。自分の世渡りの下手さーーしかも一発逆転を賭けた大きな勝負ではなく、こういう日常の細かい色々な面での意思表示の下手さを心の底から呪いたくなることが時々ある……って、ん?二枚?
「甥御さんもこっち来てるんなら、一緒にどうだい」
「無理だと思いますよ!」
僕は叫んだ。決して音痴ではないと思うのだが、団体競技とか合奏とか「他人に合わせる」系の事がとにかく苦手だし、第一やらないだろう。叔父としては復学や就活の方を優先して欲しいし。
「就活中じゃ仕方がないか。やっぱり一枚でいいよ」
「僕だって合唱なんてやった事ないし、まだ入るかどうかも迷ってて」
ようやく言えた。
「大丈夫、大丈夫」
そして前向きに無視される。
「何、誰だって最初はビギナーだんべ。自信がないってだけならやっちまうってのも手だで。金払ってしまったら意地でも続けられる。俺がそうだ。カラオケしか歌ったことねえんだで。年金生活だしな」
斎木さんはリスニングが困難なほど早口の上州弁で一気にまくし立てた。
「還暦の年に同窓会があってよ。団員やってる女子に誘われて、そん時ゃ断ったんだが。そしたら忘れた頃に『今日練習どうしたの?』なんて電話が来てよ。『会費は立て替えといたからね』つって。踏み倒す訳にもいかんし、それからだい」
彼の自分語りに不覚にも笑ってしまった。あり得ない話だが、この人にしてその友人あり、だ(ン年後の実姉が重なるような気がしないでもないが……)
失礼ながら、この人に歌えるのなら、僕にもできるんじゃないかという気もちょっとだけしてくる。問題は……
「あの、会費なんですけど、中には分割で納入する人とか……いたりしませんかね」
恥をしのんで思い切って聞いてみた。
「はてな、俺は会計じゃねえからわからんが。何なら係の人に聞いてみらあ。おおい」
斎木のオッサンはすぐ横の団費支払い受付で、髪を振り乱しながら忙しく行列を捌いている女性達の一団に向かってダミ声を張り上げた。
「いや、いいですいいです。大丈夫です」
相手に届いてなくてもう一度呼びつけようとする斎木さんを、僕は慌てて止めた。
「ド、ドイツ語のことなんですけどっ!」
「ドイツ語ぉ?そんなんカナふっときゃいいがな」
それって、語学で一番やっちゃダメって言われるやつじゃね?テスト受ける訳じゃないからいいのか?
「俺と違ってまだ若えんだ。何ぼでも覚えられるだんべ」
「若くないですよ。もうすぐ五十なので……元々忘れっぽい性格だし」
「五十なら若えよ。申し込むんなら始まる前にやってけや。帰りは混むで」
「入団希望の方?」
さっきのイケボが飛んできた。僕は期待を込めて振り返った。
「こちらで説明しますよ」
ふんわりとした巻き毛のアンシンメトリーなセミロング、派手な刺繍のしてあるエキゾチックなロングワンピースにグラディエイターサンダルを履いた大柄な美人が愛想よく笑っていた。化粧っ気はないが、カラフルなビーズのピアスがスカートとよく似合っている。性別のみならず年齢も不詳だが、ここに集まっている面々の中では格段に若い。街ですれ違っただけならちょっと見惚れそうな雰囲気美人だーースタッフ用の腕章が全く似合ってない事なんか測定誤差以下くらいに、バリトンのイケボと本人の風貌が僕の脳の中で盛大にバグっている。しかも。
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