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できなきゃ夕日に向かって走っとけ! 6
「おーたん。この人、花田さんのお友だちだって!」
スカート部分にさっきのアカリちゃんがまとわりつきながら、きゃっきゃっと笑っている。
え、この人が保護者なの?つか、一体どこに僕と間違う要素あった?
「花田さんは会場内、斎木さんは楽譜販売の方をお願いします」
「よしきた、任せろ」「よろしく頼んだよ」
しかも仕切ってるし。二人ともツッコむ気配まるでナシでさらっと受け入れて、それぞれの新しい持ち場に行ってしまった。
あれ?違和感が仕事しっぱなしの僕の方が変なのか?
「おーたん、お絵かきちょうがなーい。さがしてー?」
「ちょっと待っててね。今、おーたん、お仕事だから」
「おーたん」は本当に日常のひとコマといった感じで、自分によく似たアカリちゃんの頭を適当にぽんぽんと撫でた。
「やだー、今さがしてー」
大人ばかりだし、ちょっと飽きちゃったのかな。
「さっきお絵描きしていた椅子の上じゃないのかな」
僕がそう言うとアカリちゃんは「あっ!」と嬉しそうに笑い、そっちの方にまた走って行った。
「おーたん」はお父さんなのか?お母さんなのか?彼(彼女?)は僕だけを新規入団の机に連れて行き、椅子を勧めて相向かいで席に着くなりひそひそと囁いた。
「まだ入るかどうか、決めてないんでしょう?」
やっぱりイケボだ。気のせいかいい匂いまでする。
「お世話になった方だと断りづらいですもんね。それでなくてもあの二人が揃っちゃうと、押しが強すぎるし」
思わず苦笑しながら繰り返し頷いてしまった。
「一、二回ほど練習に参加してみて、様子を見てから入団でもいいんですよ。楽譜も貸し出しできますし」
うん。勧誘側の態度としても、あの二人より遥かに真っ当で親切だーーいや、二人ともいい人なのはわかるんだけどさ。
「一度ステージに上がったら絶対ハマりますよ」
性別不詳の中性的な笑顔に癒されてーーこれも勝手な話だがーー俄然やる気が出た。
「わかりました。来年入ります」
僕が力強くきっぱり言うと、
「来年っ?」
「おーたん」は大きさの割に力のある目を丸く見張り、可笑しそうに声を立てて笑った。笑い声までどこか音楽的だ。
「来年ね。わかりました。必ず来てくださいよ」
机に両肘をつき、可笑しそうに身体を震わせながらそうつけ加える。
もしこれが別な人だったらいたたまれなくなったり、気分を害したりしたのかもしれない。が、この人の若者らしい屈託のなさにこちらまで楽しくなる。
「でも、どうして来年なのかって聞いてもいいですか?」
「お恥ずかしながら、求職中なんです。同居の甥も就活中で、ひとまず再就職先を決めてからの方がいいような気がしまして」
「必要があって探してるのに、恥ずかしくはないですよ」
「おーたん」は今度は包み込むような笑顔を見せた。
「でも、こうは思いませんか?来年という『未来』も確かに大切だけど、今日だって今年だって二度と来ない『今』なんですよ」
「サークルの勧誘」というベタな日常シーンで、こんな青春ドラマにしか出て来なそうな台詞を吐く人はそういないとは思うが、ゆる系のイケボで聞くとお得感しかない。
そして不覚にも、僕のど真ん中にまともに刺さった。
僕の時間は唯人さんが去ったところて止まってしまっている。
仕事を辞めてからか「もうすぐ五十代」を意識し出してからかはわからないが最近、時間の経つのが恐ろしく早い。きっと来年も再来年も同じ日に、同じように「一年経つのは早いなあ」なんて言いながら、確実に去年より老いているんだろう。
第九の合唱に挑んで、僕に何が残るのかはわからない。ただの自己満足かもしれないし、途中で挫折してーーあるいは飽きて辞めてしまうのかもしれない。
僕はここで入団を諦めたり、あるいは先延ばしにしたりしてこのまま家に帰ったところを想像したーー今日は奏が夜遅く帰って来る。途中で朝飯用のパンを買って(夜食も要る?お金足りるかな……)朝が来ると奏はバイトに行き、僕はその日の家事と家の片付けを少しして、運動も少し。新しい履歴書を書き、ネットサーフィンをし、テレビのロードショー番組を観るーー明日も明後日も、その変わらない繰り返し。
僕の仕事はいつ決まるかわからないが、奏はきっと自分の道を決めてこの家を出ていくだろう。その後の僕は?
理念も目標もなく生活のためだけの仕事をこなしてますますしょぼくれて、将来は母以上に見栄と自己顕示欲は人一倍の、ひねくれた愚痴っぽい年寄りになるんじゃないか?姉からも奏からも見放されてダークサイドに落ちて、闇の総統ならぬ究極進化形 陰キャ孤立老人のできあがり……
ここまで想像して、少しゾッとした。
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