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できなきゃ夕日に向かって走っとけ! 7

 僕は軽い社交不安があり、コンビニでの買い物から親戚関係に至るまでコミュニケーション全般に常に苦手感と緊張感を抱えているーー例外は姉と奏と唯人さんだが、その人達にもそういう話をした事はないし、普段は誰にもそれを悟られないように振る舞っている。  そんな僕が何故か「おーたん」とは気負わずに自然体で接している。「おーたん」のビジュアルとギャップが色々ぶっ飛んでて、不安感や警戒心のメーターが振り切れてしまってる事も多分にあるが。  運命とか「何かのご縁」とか、引き寄せとか開運風水とかとか……そういうものは信じていない。誰が悪いわけでもなく、必然だと信じていたものに去られてしまったから余計に。  それでも、今日出会った幸運な偶然が僕に「こっちだよ」と手招きしているような気がした。  僕はあの高校時代の夏の一瞬を再度反芻した。毎日が寝てもさめても音楽で、毎日が同じではなく昨日より今日の方がより高みに近づいているというキラキラした実感ーーそれに本番後の高揚感と達成感。あれを体感できたら今、僕を執拗に重苦しく押さえつけて雁字がらめにしている何もかもから抜け出せるのかもしれない。  失敗したところで、失う物は何もーーいや、二万三千円はなかなか大きいが……嘆くにしたって何かを始めてからじゃないか。  僕がそんな事をうだうだ考えている間、「おーたん」も少し考えをまとめていた様子でこう切り出した。 「分割払いは扱ってないと思うんですが、今年入団していただけるなら、失礼ですが半年分くらいなら個人的には立て替えても……」 「いいえ!初対面の人にそこまでしていただく訳には!一応、聞いてみただけなので」  さっきの会話、聞かれてたのか……僕は慌て言い添えた。 「大丈夫です。今日、入団します」  勢いで宣言したら宝くじでも当たったかのように手放しで喜んでくれて、ホッとした。 「おーたん」、いい人すぎないか?それとも「立て替え勧誘法」なんてマニュアルでもあるのか?  確かに第九は大曲かもしれないが、たかだか社会人サークルの勧誘に過ぎないのに、この人ら一生懸命過ぎだろ……特に「おーたん」、世知辛い世間を渡っていく上で色々大丈夫なんだろうか?いや、人の事を心配できる身分じゃないのはわかっている。 「おじさーん、合しょう団入るのー?」  お絵描き帳を回収して自分のリュックに無事収納したアカリちゃんが、申込書を書く僕の机に肘を掛けてのぞき込んだ。 「おじさんじゃないでしょ、お兄さん」 「おーたん」が優しく訂正したが、明らかにシニアに片足掛けてる世代まで頑なに「おじさん」「おばさん」呼びさせない風潮って子どもの社会教育的にどうなのかと思う。おそらく大人の「お兄さん」「お姉さん」側からの見えない圧のせいなんだろうけど。 「いやいや、僕なんて十分おじさんですよ。『おじいさん』呼びじゃないだけありがたい」 「おじさん、おじいさんなのー?」  アカリちゃんは机に手をつくと、可笑しそうにぴょんぴょん飛び跳ねた。 「孫はいないから、『おじいさん』ではないかな」 「あははは、おじいさーん、おじいさーん」 「アカリ、やめなさい」  近所の上級生に始まって、生涯を通じて全人類からナメられたりイジられたりしがちな人生だったので、そこに関しては既に悟りを開いている。 「アカリちゃん。机がグラグラすると書きづらいんだ。手をついて飛ぶの、ちょっとだけやめててくれる?」  僕がそう頼むとアカリちゃんはニコニコ笑いながら、焚き火を避ける時のように手を後ろに組んで一歩後ろに後ずさった。 「ありがとう。おじさんは『ふじさきすなお』といいます」 「すなおー?変な名前ーあははは」 「アカリ、人にそんな事言うもんじゃない」 「おーさん」は困ったように、少し強い口調で言った。 「あの、ホントにすみません!」 「いいんですよ。子どもって思った事をすぐ言うものでしょう。少なくとも今流行りの名前ではないしね」  実際、コンプラのマニュアル通りの対応に底意地の悪さを隠している大人よりははるかにマシというものだ。

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