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人生のボーナスアイテム 5
「ところで、置き配ボックスが出てないんですけど」
「ああ、ごめんなさい。反対側の玄関にあります。裏だと駐車場もないし、道が狭いと思って」
車で四苦八苦して、その裏からわざわざ来てしまった……何故だか知らないが、僕にはどうもそういうところがある。チギラさんは「靴のままどうぞ」と言ってドアを開けた。
中はこれまたインテリア雑誌のグラビアのようだった。白と明るい青を基調にしたタイルの壁に艶やかな木目の柱、磨き込まれた大理石の調理台。幾何学に組み合わされた梁の一番低い場所によく使い込まれ手入れをされた銅鍋や調理器具がいくつかぶら下がっていて、小ぶりの寸胴鍋が火にかかっている。
家庭の台所というよりは「厨房」といった方が近い。
ただ、食器棚だけは食材や調理器具ではなく、何やらキャンバスやら粘土やら画材のようなものに占領されている。
チギラさんはさっき庭で詰んだらしきハーブを、キッチンとの境にある木目の美しい一枚板のカウンターに置いた。僕は業務用にしては小ぶりな冷蔵庫の前に食材の箱を置き、チギラさんに二人分のお弁当を渡した。
カウンターの向こうは丸太小屋風の内装の、吹き抜けの広いリビングになっている。反対側にもう一つのドアとウッドデッキのテラスがあってそこが本来の入り口らしい。
「藤崎さん。この後も配達?」
「いや。ここが順路の一番最後で、あとは事務所に戻るだけです」
「そう。もう少ししたらアカリが学校から帰って来るので、待っててもらえませんか?会いたがってたので」
えっ、そうなの?色々意外。
「カウンターに掛けててください。コーヒーでも淹れますよ」
チギラさんはそう言って、ステンレスのポットをコンロにかけた。
「いえ、お構いなく。茶菓をいただくのは規定違反になるので」
僕はそう言いながら、このお宅に興味津々であちこち観察した。
広々としたリビングの両脇の壁に背の高い本棚とピアノ、反対側に暖炉がそれぞれ据え付けられている。民芸調のラグの上にはカウンターとお揃いのテーブルセットが二脚。蓄音機と石炭入れはオブジェかもしれない。
キッチンは北欧風だが、リビングの方にはチギラさんらしいエスニックな装飾品がそこここに掛けられていて異世界風の、しかし居心地のよさそうな独特の空間になっている。
「ここは、お店なんですか?」
「いえ。絵画教室です。脱サラして自宅カフェを開いてた方が高齢になってリタイアしたので、その物件をお借りしてて」
火のついていない方のコンロに鉄鍋が乗っていて、チギラさんはそこから煎りたての豆を掬い、手回しのミルに入れて回し始めた。陽なたの木とクレヨン、給食の匂いが混ざったようなこの家独特の懐かしい空気に沈んでいた、一段階上等な香りがトップノートに変わり空間一杯に広がる。
「夜の教室がある日は、俺はともかくアカリの夕飯がどうしても遅くなるので助かります。下手するとお菓子のような物で済ましちゃったりするので。生徒さんの親御さんが見兼ねて勧めてくれたんです」
「ご飯は大事ですよ」
僕はちょっと気になった。絵画教室というのをどれくらいの規模で、いくらくらいの月謝でやっているのかは知らないが、社会人サークルですら苦戦している時代に、失礼ながらそれほど儲かるとは思えない。アカリちゃんの「ママ」が勤め人で家計を支えてる感じなのかな……それで忙しくて子育てはチギラさん担当、とか?
「ただ、こんないいキッチンがついてるのでね。物置じゃ勿体無いからゆくゆくは、子ども食堂兼高齢者カフェみたいな場所を何とか作れないかなあとも思ってて」
昭和な街角の奥は、緑と宝物一杯の隠れ家的お店でした……なんて、まるでジ〇リアニメの世界じゃないか!いいね!
「夢がありますね」
チギラさんは嬉しそうに笑った。
眩しい。
夢追い人の夫を持った「ママ」はなかなか大変そうだが、僕ならこの笑顔で全部リセットできてお釣りが来る。
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