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人生のボーナスアイテム 6
ポットのお湯が沸いた。挽きたての粉をドリップ用の布袋に入れた。予熱された一点物のアンティークカップにハーブが投入され、ネルで漉された福々しい液体がブラックムーンのように満ちる。
「最近編み出したハーブのブレンドなんです。夏にいいですよ」
彼のコーヒーへのこだわり方が唯人さんを思い出させ、爽やかで甘やかな香りに少し泣きたくなった。
「ぜひ御相伴に預かりたいところなんですが、本当に遠慮します… …今度規則違反したらクビに関わるそうので」
僕は心底、涙を飲んで断った。
「規則違反でクビ?仕事始めたばかりなのに?真面目な藤崎さんが一体、何やらかしたんですか?」
チギラさんは目をくるくるさせたーー絶対この人、面白がってる。
「配達先で一人暮らしのおばあちゃんが、ちゃぶ台に乗って電球を替えようとしていたのを見かねて手伝ったんです。そしたら『とても助かった』と丁寧なお礼の電話をわざわざ事務所にいただいて。で、僕の方はボックス配達指定のお宅にわざわざ上がり込むのは規則違反だと注意されて……」
チギラさんは果たして、腹を抱えてゲラゲラ笑った。イケメン⊃ イケボの大爆笑は重量感と破壊力が半端ない。
「でも、ひどい話ですよね。俺、藤崎さんは間違ってないと思いますよ?」
ひとしきり笑っておきながら、チギラさんは真面目な顔で憤慨した。
「俺も同じ場面に遭遇したら、同じ事すると思います。家の中で転倒でもして助けが呼べなかったら一大事じゃないですか」
「ありがとう。まあでも、会社側のいう事も一理あるんです。最近、訪問サービスを装った物騒な事件があるから警戒して嫌がる人もいるだろうし、他のお客様までそういう対応を期待してあれこれ言い出したら収集つかなくなる、っていう……」
「必要な人がいるなら、作っちゃえばいいんですよ、そういうサービス」
チギラさんはあっけらかんとそう言った。
「見守りつきの声かけサービスとか、介助とか家事援助までは行かないけど15分くらいでできる、電球交換とかゴミ出しを毎回の配達とセットにするんです。そういうパックでも作ったらいいんじゃないですかね」
「なるほどなあ……」
チギラさんの発想力に脱帽した。ダメ元で石井さんに提案してみるか。
「ところで、ボルシチ持っていきませんか?」
チギラさんはさっきの寸胴鍋を指した。
「実は、配達は来週からだと勘違いしてて、夕飯用にうっかり煮込んじゃったんです。朝食べるにしても二人じゃきっと余らせてしまうし」
これだけこだわりのある人の煮込み料理なら、絶品じゃないわけがない。しかもチギラさんの手料理ーー何この「推しの手料理」というビッグバンレベルのパワーワード。この人、楽園 の乙女 かよ。イケメン⊃イケボの上に天使すぎる。
マヨヒガに着いたらご馳走にならなければならないしポランの広場では水を飲まなければならない。棚ぼた式に毎週、合法的に推しに出会える幸運に上半期決算セールばりにくっついてきたあれやこれやのラッキーアイテム。それをスルーしろなんて言う奴は人生の楽園になんか一生たどり着けまい。
「あ、『タッパー返して』なんて電話しませんから」
チギラさんは楽しそうにジッパーつきの密閉袋を取り出した。
「ありがたくいただきます」
「藤崎さん。毒食わば何とか、ですよ。少し冷めちゃってるけどコーヒーもどうぞ?」
ファム……ならぬオム・ファタールだったかもしれない。
「ははは。確かに。じゃあ……」
僕は何げに高そうな年代物のカップを持ち上げかけて、ふと気づいた。
ーーん?「二人」……?
ーー「ママ」は家でご飯を食べられないほど忙しい人なのか?でも、第九の練習に来る時に、アカリちゃんを預かってる時もあるみたいだし……出張でもしているのか?
「裏のバン、どかしてくんない」
突然、裏口が開いて年輩の男の人が顔を出して声がした。
「俺んちの車が出せねえんだけど」
この近所の人のようだ。
「すみません。今すぐ出ます」
僕は慌てて頭を下げ、最大級の未練とともに「ダイネツァオベル」を後にした。
幸せな夢ってのはだいたい、美味しいモノを目の前にして目がさめるもんでさーー素敵な魔法が解けてしまうみたいに。
こんな時だけシンデレラボーイとか、一体何の呪いだ……
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