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走れ兄弟、ヒーローの道を 1

Froh, wie seine Sonnen fliegen Durch des Himmels prächt'gen Plan, (完全なる天命によって輝かしく天翔(あまが)ける太陽のように) Laufet, Brüder, eure Bahn, Freudig, wie ein Held zum Siegen. (兄弟よ走れ!その道は勝利の歓喜に向かう英雄(ヒーロー)の道だ!)  僕はあれから残念がったり浮かれたり、あるいはオッサンがはしゃぎ過ぎてウザがられてないかとかやっぱり図々しかったんじゃないかなどと落ち込んだりして次の練習日まで過ごした。  唯人さん。あなたは「ああ、新しい恋ならいいんじゃない?」と言ってホッとするだろうか、それとも少しは妬いたりするのかな。  でも、チギラさんはあくまで僕にとって「推し」なんだ。気を抜くとすぐ意欲も気力も無くしてしまいそうな今の僕の、ちょっとしたカンフル剤を敢えて作ってるというか。  ずっと抱えている魂の半分を失ったような気分は、きっと一生治らない。  せっかくアカリちゃんが僕の事を覚えてくれていたようだから、会いたかった気はするが。  ところで、高校の吹奏楽部の一つ上の先輩からメールが来た。かれこれ10年ぶりくらい。よく僕のメールアドレス消さずにいたなーーというより、送ってきた本人が20年近く前のメアドがまだ現役だったことに驚いていた。  当時はガラケーどころかPHS(ピッチ)がまだ現役だったもんね。高校時代にポケベル持ってる奴がいたりいなかったり、そんな時代だった。一緒にいる奴のベルに急ぎの連絡もらって公衆電話探したり、こいつは繋がらなかったら諦めてもいいとか、その逆とか……コミュニケーションにワンクッションあって、自分で考えて動かなきゃいけない時代の方が人間、「どこでも誰とでも繋がれて便利でお得ですよー」ってお仕着せを大枚叩いてありがたく推し頂いている今より、個性だとか自分の流儀ってものをちゃんと待っていたような気もする。  そんなわけで僕らはまだ年賀状をやり取りするのも当たり前な世代だったが、去年のリスト宛に機械的に出される年賀状だけでつながっていた高校、大学時代の人たちとの縁は完全に切れてしまっている。通信手段が激変したのに加えて僕が全くマメな人間ではないもので……  この歳になって、推しや知り合いはできても新しく「友人」と呼べる人はなかなかできそうにない。  前の職場?第九で花田さんの安否確認だけできたらいいやって感じ。  こんな僕だが、どうせなら元気で幸せな独居老人を目指したくなった。そのには旧交を温め直す必要があるんじゃないかな、と考え始めていたところだ。特に生涯で唯一、あれだけ劇的な感動を共有した高校時代の仲間と全く切れてしまったのを残念に思っていたから渡りに船だ。 「近いうちにそっちにいく用があるんだ。都合はそちらに合わせるから、会えないかな」  旧友からの突然の連絡はマルチ商法か宗教の勧誘だから気をつけろ、という話を聞いたことがある。でもこの先輩に限ってはそんなことはない。僕はそう確信できる。  これは唯人さんにも行った事はなかったし、間違っても妬かないで欲しいんだけどーー実は初恋の人なのだ。  運動部の三年生はせいぜい高校総体の区大会止まりで夏休みに引退するが、僕らの部活は九月の東京ブロック大会を目指すので引退の時期が遅い。にも関わらず彼ーー阿久津(あくつ)先輩は、パートリーダーとして音楽ど素人の僕の面倒も見、部長という重責をこなした上に現役で難関大学に入り官僚になった、僕のユーフォニウムの師匠で恩人で若き日のメンターでもあり、やっぱり雲の上の人……それが阿久津先輩だ。  僕も一年後、先輩と同じ大学を目指したが力及ばなかった。親に無理を言って浪人する手もあったと思うが、一浪してもその大学に受からなければ意味がなかったし、一旦家を離れたかった。  それで地方の大学に進学してからも先輩とのつき合いは十年以上続いたしーーあ、もちろん先輩後輩としてだよ。唯人さんと出会った頃には阿久津先輩は結婚していて、僕はそれも受け入れていた。人生は塞翁が馬ーーそんな気はする。

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