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SDGsでいこう 7
「これからパート練習、全体練習とやるわけですけれども、ここにいる人たち、特に合唱初心者の方は本練習でも恥ずかしがらずに最前列にいてくださいね。ピアノの音も経験者の音もよく聞こえますから覚えが早いですよ。皆さん同じ会費なんだからお得でしょう」
この先生は笑わせてリラックスさせるのが上手い。
「度胸もつきますしね。合唱団の中には本番になると初心者をまとめて後ろの列にやっちゃうところがあるんですよねえ。うちはそんなアコギなことはしません。背の低い人は問答無用で最前列です」
あはは……みんな顔を見合わせて、すっかり楽しげな空気になっている。
「ところで皆さん、昨日、メジャーリーグ見たかい?」
あれ、発声練習は?
「大谷のホームラン、すごかったねえ」
ポカン状態の人もいるが、さすが世界の大店だけあって、三分の二くらいの人はうんうんとうなずいている。動員されていきなりヒマになったピアニストの先生は「またか」といった表情で笑いながらピアノの前に座っている。
「ホームランはねえ、腰なんですよ。腰が大事。バッドを力一杯振ったって疲れるだけで大して飛ばない。使うのは腰。腰をバネに、球に逆らわないように自然に軽く当ててね、球の速度だけでポーンと遠くに飛ばすの」
僕も昭和の子どもだから草野球はたしなみの一つだったけど(リトルリーグやスポーツ少年団なんかじゃなく「磯野、野球やろうぜ」的なやつね)、ホームランなんか打ったことないからわからないや。
「声も同じ。ホームランと同じで、軽く遠くに飛んでくんがいいやね。無理に大きな声を出したり響かせようとしたりしてがなったり唸ったり、するんじゃなくてね」
お、本題に戻ってきた。
「というわけでね。声はね、体全体で出すんです。余分な力が入らないようにね。まずは皆さんでストレッチをしましょう」
……はいっ?
発声は?
ベートーベンにたどり着くのはいつだ?
ピアニスト先生がさも当然といった調子で椅子から立ち上がったので僕らも諦めて先生の指示通り肩を回したり腰を伸ばしたりし始める……思ったよりこっているなあ。これまでどこかが痛くなるといいかげんに湿布を貼る対処療法だけだったが、来年はいよいよ大台だし五十肩やぎっくり腰にならないように、意識して体を動かさなきゃ。
というわけで初めての発声練習は正味五分だけ。
「力入れないでー。いい声出そうとか声量とか要りませんよー」
「うんまだ力入ってるね」
と、すぐにゆる体操系の独特なストレッチであちこちほぐさせられる。それが八割。
「思ってた発声練習と違うかもしれませんがね。この時間は皆さんと経験者との差を埋めたり団の様子に慣れてもらったり、という目的もあるんですが僕が皆さんの様子を把握するためでもあるんです。毎週通ってたら声出す時間がだんだん長くなりますから心配しないで。そうそう皆さん、ご自分のパートは決まっていますか?」
先生が聞いた。年代も服装もバラバラの、ほぼ初対面どうし顔を見合わせたり首をひねったり。
「決まってる人」
パラパラと半分くらいの手が上がる。
「まだ迷っている人も今日はとりあえずどこかに入ってみてください。と言っても女声と男声に分かれるんだから二つに一つだけどね」
お。斎木さんと同じ事言ってる。
「歌っている内に高すぎるとか低すぎるとか思ったら移ればいいんだから。迷ったら遠慮なく相談してください」
七時になりロビーで待っていた経験者達がホールに入ることを許可される。さざ波のように談笑しながらヴァルトブルク城の歌の殿堂に入場してくる貴婦人達のように女性達が入ってくる。仲間がブッキングした席に優雅に着いたり思い思いに空いた席を見つけて着いたり、一気に部屋が華やぐ。男性はばらばらと自分の気に入った席や空いた席に座ってから隣の人と話したり一人で楽譜を開いたりしていてもう少し関係性が緩い。
テノールは人数が少ないどころか、そもそも男性は女性の半数以下だ。「歓迎される」唯人さんが言ってたような気もするが、女子優勢の楽団でダメ出しされ続けた吹奏楽部時代の経験から学んでいるので期待はしていない。
あれ、斎木さんは……?あれ、バスパートじゃないか。あれだけ講釈してテノールに引っ張り込んでおいて……おい。
まああの地声でA4が出せたら、それこそこんな所にはいない……ってやつかもしれないけど。ビックリ芸人枠?
全体での発声練習が始まった。今回はストレッチは少なめである。バスパートにもう一人……いやもう二人の人物が加わった。
「おーたん、ちこくだねー」
「しーっ」
アカリちゃんを連れた洗い晒しのタンガリーシャツにヒッコリー柄のロングスカート……という出で立ちの「おーたん」だった。タイカレーのパッケージをプリントした不思議なトートバッグを持ち、アカリちゃんそっくりのくせっ毛を後ろで束ね髪にしている。
先生を始め、みんなから微笑ましげな笑いが漏れた。
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