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SDGsでいこう 8

 女性団員の中にはピアノの安達先生に劣らず芸術的な装いのマダムがちらほら見受けられるが、男でここまで目立つのはこの人だけだろう。 「ママ」の仕事が忙しいのか、趣味の時間は預かってもらえないのか……何にも見返りがなくても唯人さんのように他人の子と意気投合して引き受けてくれる人もいる……余所様の家の事情なんていろいろだからとやかく言うことじゃないけど。 「アカリちゃん」と声を掛けてみたかったがパートが違うと微妙に席が離れている。アカリちゃんも最初はキョロキョロしていたが席につくなりお絵かき帳を広げてこちらには目もくれないーーもっとも、一週間前に初めて出会ったきりの、何の特徴もないさえないオッサンなんてとうの昔に忘れているだろう。  発声練習も時々……いや、一音ごとに「力が入っている」「硬い」といちいち止められる。管楽器のロングトーンやピアノの基礎練習のおうな「ウォームアップ兼訓練」のような、持久走的な基礎練習をイメージしていた僕はやはり戸惑うがが、さっきよりはよほど「発声練習をした」という実感がある。  それからパート練習に別れた。女声はホールで女声担当の先生方が見てくれるが男声は畝川先生に連れられて四階のリハーサル室というところに移動する。 「じゃあ、最初の歌いだしいきますよ。『フロイデ』の部分……ここは合唱の始まる一番最初の肝心なユニゾンだからね。経験者の人、新人さんでも他の合唱団で歌ったことある人。お手本で歌ってみて」 「第九」ことベートーベン作曲「交響曲第九番」作品番号一二五。総譜にして昭和の電話帳か百科事典ほどの分厚さの約一時間二十分の長く壮大な曲(と先生が言った)。  年末BGMでおなじみのあの有名な合唱は最後の四楽章の真ん中近くになってやっと登場する「クライマックスその1」だ。  合唱の始まりはこうだ。第四楽章冒頭の別名「恐怖のファンファーレ」とも呼ばれるテーマに続いて、第一楽章から第三楽章のテーマがそれぞれ現れては、低音弦が後に出てくるバリトンソロのテーマで「その音楽ではない」と否定する。やがて遠くから風が囁くように、笛の音が届くように「歓喜の歌」のメロディが聞こえてくる。  中世からルネッサンスの時代に「神のための音色」とされたトランペットにより祝福感溢れる歓喜の歌のファンファーレが鳴り響く(より明るい音色を求めて横に平たいロータリートランペットを使う場合もある)  次いで「恐怖のファンファーレ」が演奏され、バリトンのソロが「おお友よ、このような歌ではない」と導入部を歌い、男声が二度「フロイデ(喜びよ)!」と呼応する。  これまでオーケストラ演奏を堪能してきた聴衆もクライマックスに向けて「この合唱団のレベルは如何に?」だとか「ソリストの相性はどうか?」などなど、とにかく色んなことを期待して待ちかまえている瞬間だ。  願わくば「掴みはオーケー」にしておきたい、いやむしろそうなってくれないとこの後が長いんだから先が思いやられる。そんな「最重要部分その1」だ。  もう一人のピアノの先生が前奏を弾き、先生が手で合図をすると 「フロイデ!」  先ほどの魔法のストレッチの成果かホール一杯に力強い男声が響いたーーと書いてあげたいところだが残念ながらそれは「おーたん」の声だけだった。後の人は力んで空回りしたり自信なさげだったり、しょぼくれた音程のバラバラな歌にしかならなかった。畝川先生が苦笑して止めた。 「去年の本番終わって冬眠してた?」  先生、ゆる系だがなかなか毒舌。みんな苦笑する。 「じゃあ今度はメロディをつけずに叫んでみよう。新人の方も一緒に。お腹から……さん、し」「フロイデ!」 「力が足りない。それに『フロイデ』ーー日本語で『喜び』ですよ。もっと嬉しそうに」 「フロイデ!」 「『ハハハ!見つけたぞ!』……いや、笑っちゃダメですよ。ベートーヴェンが譜面にそう書いたんです。そのくらいの気持ちで。もう一度、人生だ一番嬉しかった事を思い出して。ああそうだ、皆さん一回笑って見てください。せーの」 「わっはっはっは……」 「照れるのナシですよ。照れたら余計恥ずかしいですから。それ、その笑いです。せーの」  時々面食らうこともあるが、とにかく僕ら全員懸命に先生の指示に従う。 「フロイデ!」 「んん、『風呂おいで?』に聞こえる」  さざ波のように……ではなくお風呂の栓を抜いたように渦巻く苦笑。

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