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走れ兄弟、ヒーローの道を 3

 ちなみにベートーヴェン自身は、敬意を払われカリスマ視されていたのは音楽面においてだけで、引越し魔でかんしゃく持ちの変人として身近な人をかなり閉口させた挙げ句、晩年は「孤立老人」化していたらしい。  その辺だけはちょっと親近感を覚えるが、甥とも泥沼の確執があったのは反面教師としておきたい。  第九の合唱部分は十分以上に渡る大曲だが、ずっと途切れなく歌い続けるわけではなく(そんなのオペラ歌手じゃあるまいし無理)、いくつかの「部分」に分けることができると畝川先生は言う。  それらを本来の演奏通りの順番ではなく「耳なじみがあり、歌いやすいところから」始めている。最初の週のバス独唱に続く「フロイデ!」の冒頭部と先週の「歓喜の歌」の間に挟まっている箇所のうち、男性合唱の部分を今週やっている。 「世の中あんまり男らしくとか女らしくとか、言わない方がいいという事になってますけど、ベートーヴェンの曲ってのは男の曲だと僕は思うんですね。第九なんて特にそう。あ、現実社会ではステレオタイプな『男らしさ』を振りかざすのはもう古いですよ。けどね、合唱の中でだけは『男の美学』なんていう古語を思い出して欲しいねえ、お父さんたち」  内輪でやんやの喝采が起きる。 「それはともかく、第九の合唱部分には六つの歌があるんです。そのうち三つの歌は形を変えて繰り返し出てきます。そして練習も楽譜が読めない人、読み方を忘れてしまった人のために何度も繰り返し同じところをやります。ついてきてくれたら、必ず覚えられます。諦めないでください」  また、芸術家特有の感性のせいか、教える時に使う比喩や言い回しが独特だ。それでも「理想の発声」ということに関しては確固たる理論を持っている。  僕は声楽や合唱は門外漢だが、譜読みや初歩の音楽理論ぽいものは部活時代に阿久津先輩に教わったり独学で覚えたりで基礎的な物はたぶん忘れていないと思う。  息の使い方が「キモ」なのは管楽器も一緒だが、フォームやアンブシュアのように目で見て真似したり、ピストンで音程を変えたりといった部分が全部身体の中の事だから大変だ。 「姿勢をよく」とか「口を開けすぎるな」といったことの他は全部比喩だから、自分でやってみて感覚で理解するしかない。 「しょぼくれないで、とはいっても張り上げて大きな声を出そうとしてはダメなんだよ。学校の音楽の時間で合唱をやるときに『歌うときはお腹に力を入れて、大きく口を開けて』って言われたことあるでしょう。あれ、嘘だから」  僕は門外漢のさらに外から来たような人間だから目を丸くして「へえー」なんてぽかんとしているだけだが、経験者の中には動揺したような半笑いを浮かべている人もいる。 「大きいだけの声も力強い風に作った声を出すのもダメ。そういうのは広いホールの二階席まで届かない。喉を痛めるだけ。力が抜けていて、遠くまで飛んでいく声がいいんだよね。フィギュアスケーターのジャンプみたいにね。上手い選手ほど『さあ飛ぶぞ飛ぶぞ』って構えて飛ぶんじゃなくてで、踊りながらさらっと飛んで重力がないかのように着地するでしょう。  そう、軽く飛んでいく声がいい」  青春時代の貴重な時間を少なからず費やしたそれが肝心の音楽の役にはあまり立っていなかった……どころか、かえって害のあるものだった、と言われてしまい愕然とする気持ちはよくわかる。  吹奏楽部時代は先生や阿久津さん方に言われるまま、盲目的に腹筋や背筋のトレーニングをやっていたし、それに「肺活量を上げる」ための校庭5週のランニングや悪名高いうさぎ跳びまでーーしかも部活の練習時間とは別に早出や居残りでしてさ。  本家の運動部員に「座る体育会系」なんて揶揄されたやつだ。インドア大好きで根を詰めてしまうタイプの僕は、運動神経もそこそこ良かった先輩の、ビロードのような豊かな音色に近づくために嫌いな運動を頑張った。  体力はついたんだろうから、よかったと思ってるけどさ。

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