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走れ兄弟、ヒーローの道を 5

 下り電車の到着を告げる金属質の重低音が頭の上から降る。目の前の改札から人が流れ込んで来た。土曜の昼間らしく部活のユニフォームやジャージ姿の高校生が一番多い。制服姿の子は補習や塾だろうか。彼らの向こうに当時のままあまり変わっていない先輩の姿が見え、目頭と胸が熱くなるーーいや、実際の十代と並べて「当時のまま」というのはさすがに言い過ぎだが、この年代になると同級生や後輩でも名乗ってもらわなければそうとわからないくらい見た目が変わってしまう奴もいるもんだから。  内心「会ってすぐにお互いがわかるだろうか」と不安に思っていたし、僕自身も「老けたと思われるんだろうなあ」と憂鬱だった。  そんな自分を笑ってしまいたくなるくらい、彼は数十年間ほとんど何もかもが変わっていないーーさすがに髪に白いものが入り、顔には年相応の風格が出ているけど体型なんかはほとんど変わってない。いや、少しは肉付きがよくなったかな。  若作り過ぎず地味すぎない爽やかな色合いのポロシャツの上に、これも質のいい夏ジャケットを羽織っている。 「阿久津先輩」  僕が手を振ると向こうも振り返した。 「その呼び方はいい加減よせ。君はいろんな意味で変わらないな」  苦笑した彼の表情がまた懐かしい。  今思うと確かに、たまたま一歳か数歳先に生まれた程度で敬語を使い上下ができるような人間関係ーーしかも何十年も前の部活のそれをこの年まで引きずっているというのは奇異以外の何者でもないだろう。まして先輩は海外旅行ですら今よりずっと特別感のあった時代から欧米を始め世界のあちらこちらで暮らして来た人だ。  かといって十代の時に養われた感覚というのもなかなか抜けない。刷り込みって恐ろしい。 「よく元気でいてくれた。嬉しいよ」  先輩が僕の肩をぽん、と叩いた。僕はコンコースの真ん中でうっかり号泣しそうになった。こんな上司に恵まれた若い人達は幸せだろうな。  僕が先輩に憧れていたのはまさにこういうところなのだ。昔から知識が豊富で頭の回転も速い人だったが、集団で目立たない僕のような人間の気持ちを汲んで居場所を与えたり元気づけたりしてくれる、そういった細やかな気持ちの使い方ができる。義理堅く熱意の塊のような人だが、身のこなしや所作はあくまでスマートだし話していてとても楽しい。一緒に過ごす時間はいつもあっという間だった。 「僕、車で来てるんですよ。時間があれば、赤城山までドライブでも」 「ありがたい申し出だが、それはまた今度の楽しみにしよう。今日は君とゆっくり話がしたい。食事がまだなんだが、君は?」  僕も先輩との食事を楽しみにしていたので空腹だった。そこで市内唯一の高層ビルのほぼ最上階にある展望レストランに案内した。ほぼ、というのは一階上の三十二階に上毛三山に囲まれた街一帯を一望できる無料の展望台があるからだ。  このビルは何を隠そう県庁の建物で、建設中は行政関係では日本一の高さだとかなんとか宣伝していたが、完成して間もなくどこかの新県庁に抜かれた。一位だ二位だは置いておくにしてもこの県のえらい人達はどうも力の入れどころを勘違いしているような気がしてならない。  窓からは雄大な利根川とそこに架かるいくつの大橋とそれに続くバイパスが上州平野の牧歌的な農村風景を縦横無尽にぶった切り、全国有数の空き家率を誇る市街地と分譲地とショッピングモールが無秩序に侵食していく絶景を楽しめる。  殺伐とした駅前や周囲のくたびれきった商店街と比べるとこの建物だけは異様なほどにキラキラしている。どこの地方でも行政には行き当たりばったりの浅知恵しかなく、土建屋と自動車屋だけが一人勝ちしているものなんだろうかーーあっ、阿久津さんも行政の人だった。  メニューは地元産のブランド豚と野菜を使った本格フレンチ触れ込みだ。仕事が決まったといっても僕にはやっぱり贅沢な価格帯だが、インフルエンサー流に言えば自分へのご褒美ってやつだ。  評判通り「お値段以上」のコースに舌鼓を打ちながらお互いの近況や知ってる部OB達の近況を話す。僕の代でも僕より阿久津さんの方が詳しい。 「君のメールだと衰退しつつある地方都市、という印象だったが電車の中は活気があったな」  最後にコーヒーを味わいながら阿久津さんが言った。 「少子高齢化著しい東京の電車に比べれば若者が多い。若者だらけと言ってもいい。物価が安いから住みやすいのかな。藤崎君は長く住んでしまっているからこの地域のポテンシャルを過小評価しているだけじゃないのか」 「大人はみんな、車で移動するからですよ」  僕は逆に滅多に電車に乗らないから、阿久津さんの見方が新鮮だった。

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