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走れ兄弟、ヒーローの道を 6

「少子高齢化なんて言ったら、絶対こっちの方が深刻ですよ。マスコミじゃ高齢者ドライバーが危ないなんて言うけど、電車どころかこんなだだっ広い街で駅に出る一時間に一本のバス路線さえ通ってない場所の方が多いんだもの。採算とれないから割高だし、生活に必要な店もみんな潰れて郊外の大型店に行くしかないから運転し続けるしかないんです。道路を走ってたら前にいる車の四台に一台はもみじマークだし、八十代のドライバーなんてザラにいる」 「……そうなのか」  僕に言わせれば一本乗り過ごしてもすぐに次の電車が来て何時に通りに出てもバスに乗れる都心の生活だって十分異常だと思うが……この国には本当に「ほどよい中間」というものが全く存在しないのな。四季まで酷暑と超寒波とスーパー台風しかない……いやそもそも、そんなの四季って呼べるのか?  バブリーに成り上ががる夢を抱いているわけでもなく指一本ですべての情報やサービスが手に入る生活が理想だとも思ってるわけでもなく、そこそこ便がよくて誰が何歳になってどんなライフスタイルを選択したとしても、医療難民にも買い物難民にもならず下流老人に転落することもなく、慣れたコミュニティでそのままそれなりに生活して寿命を迎えられるーー欲を言わせてもらえば自然の方も、縁側で茶を啜りながら日向ぼっこでもできるように暑さ寒さは彼岸まで。そんなのでいいんだけど。 「ところで、話ってなんですか」 「ああ、実は……仕事を辞めたんだ」 「……えっ?」  思いも寄らない発言に、言葉に迷った。だってキャリア官僚なんてそうそう誰でも勤まるもんじゃないしーーまあ世間が思ってるほどセレブな職種ではなくて、むしろ国会の会期中の泊まり込み待機も土日出勤も常態化している親玉ブラック企業だ話は昔、聞いた事があるけど。 「何かあったんですか?奥さんは何て?お子さんもまだ学生さんなんじゃ?」  僕が最後に同期や阿久津さんと会ったのは十年以上前、阿久津さんの結婚式の時だった。その後、子どもが生まれたという年賀状をもらい、出向や海外勤務と異動を繰り返しているうちに何かのはずみで連絡が取れなくなってしまってそのままだった。 「仕事を続けられるんなら続ける方がいいですよ。僕みたいに五十目前で会社から放り出されてしまうと本当に行き場所ないですもん」  すると阿久津さんは真顔で身を乗り出して、僕を真っ直ぐ見つめて言った。 「君。五十代で組織を離れた人間は無価値、と考えるのは間違いだよ。日本人の陥りがちな大きな過ちだ」 「そうですかね」 「そうさ。五十代まで社会経験を積みながら個人の名前で組織から必要とされるようなキャリアアップをして来ない方がおかしい」  悪気もなくさらりとこういう系の発言をするから、僕らレベルの凡人から必要以上に煙たがられる。そういうところも変わっていない。 「みんながみんな、阿久津さんのように意識が高くて向上心の権化みたいに生きているわけじゃありませんよ。凡人はただ日常が無事過ぎ去ってくれてその時々にちょっとだけスペシャルなことがある。そんなんで十分幸せなんです。例えば推しの誕生日とか、ひいきの球団が勝ったとか」 「へえ。藤崎君はプロ野球に興味がない人だとばかり思ってた。どこを応援してるの?」  そして、頭が良すぎてどこかズレているところも変わっていない。 「いや、野球ってのは例えで…… そんなことより、一体何があったんですか」 「君が考えてるほど深刻なことじゃない」  五十代を迎えて出世レースから外れた人は早期退職か出向……という話も聞いたことがあるかかひょっとしてそれなのか?その場合はなおさら僕の出る幕はないが……。 「頑張って出世して残ったらいいじゃないですか。阿久津さんは名前で組織に必要とされる人なんでしょう」  老婆心に若干のやっかみを込めて反論する。 「僕の性格はよく知ってるだろう。地位のために妥協して長い物に巻かれるなんて無理だ。それができるなら内部告発なんてしない」  これには驚いたが、「ついにやったか」とも僕は思った。  吹奏楽部の部長時代、彼は帝王カラヤンばりの絶対君主だった厳格な顧問と衝突した。僕ははっきり先輩に荷担したし、部の過半数は先輩の味方で後は表だっては賛同できないがこっそり同意していたしていた者達だった。だが結局、先輩は全ての責任を一人で負い、抗議の意思も込めてコンクール前に部長を辞めて退部したーークーデターさえなかったら「全国大会出場も夢じゃない」と期待されていた黄金世代の筆頭だったのに。だがその反骨心で難関大学に現役合格し、今がある。そういう人なのだ。  15年ほど前、食品偽装を告発した業者が干されて倒産寸前ーーそんなドキュメンタリー番組を観たことがあるが、身近で実際にそんな人がいたなんて。 「藤崎君だから話すんだ。他言は無用だぞ」  声を潜める阿久津さんに僕はできるだけ神妙な顔で頷いた。心の中では下世話な好奇心が「ダンシングクィーン(なぜか)」をBGMにこれでもかと踊り跳ねている。 「許認可を巡る裏金問題が今、国会で問題になっているだろう」 「はい。報道機関へのリークがあったとか何とかーーまさか」  阿久津さんは僕の目をはっきり見て頷いた。顔立ちがすっとして整っている。やっぱりいい男だ。 「今に全省庁を巻き込んだ大騒ぎになる。捜査機関も水面下で動いているーーだが国家権力対国家権力というのは高度で繊細なパワーゲームだから立件できるかも微妙だが。今のところ僕が話せるのはこれだけだが、いずれ全て離すよ」  子どもの頃、ヒーロー物のアニメに夢中になっていた時のワクワク感を思い出した。この胸のすくような反骨精神はどうだ。一方の僕は、大人になってからこのかた周囲に合わせて生きるのが精一杯で、何かというと長い物に巻かれた方が楽だとかどうせ何も変わらないとかいう考えに逃げてしまうのが当たり前になっていた。目立たず騒がず波立てずーー見た目だけでなく心まで貧相に縮こまってしまった。  だが、十代の頃の真っ直ぐさと純粋さを何十年も持ち続ける、変わっていない彼がここにいるーー眩しかった。  僕らがいる世界の何よりもーー五月晴れの空を背景にそびえ立つ日本で二番目のビルよりも、日差しを反射しながら有史このかた滔々と流れ続ける眼下の板東太郎よりも。  

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