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走れ兄弟、ヒーローの道を 7

「藤崎君だから話すんだ。他言は無用だぞ」  声を潜める阿久津さんに僕はできるだけ神妙な顔で頷いた。心の中では下世話な好奇心が「ダンシングクィーン(なぜか)」をBGMにこれでもかと踊り跳ねている。 「許認可を巡る裏金問題が今、国会で問題になっているだろう」 「はい。報道機関へのリークがあったとか何とかーーまさか」  阿久津さんは僕の目をはっきり見て頷いた。顔立ちがすっとして整っている。やっぱりいい男だ。 「今に全省庁を巻き込んだ大騒ぎになる。捜査機関も水面下で動いているーーだが国家権力対国家権力というのは高度で繊細なパワーゲームだから立件できるかも微妙だが。今のところ僕が話せるのはこれだけだが、いずれ全て離すよ」  子どもの頃、ヒーロー物のアニメに夢中になっていた時のワクワク感を思い出した。この胸のすくような反骨精神はどうだ。一方の僕は、大人になってからこのかた周囲に合わせて生きるのが精一杯で、何かというと長い物に巻かれた方が楽だとかどうせ何も変わらないとかいう考えに逃げてしまうのが当たり前になっていた。目立たず騒がず波立てずーー見た目だけでなく心まで貧相に縮こまってしまった。  だが、十代の頃の真っ直ぐさと純粋さを何十年も持ち続ける、変わっていない彼がここにいるーー眩しかった。  僕らがいる世界の何よりもーー五月晴れの空を背景にそびえ立つ日本で二番目のビルよりも、日差しを反射しながら有史このかた滔々と流れ続ける眼下の板東太郎よりも。 「それで……、僕に力になってほしいというのは?本を書く手伝いですか?」 「まさか。そんなの何年も経ってからだよ」  キレッキレの、正義の告発者の阿久津さん阿久津さんは笑ってひらひらと手を振った。 「映画や何かの話じゃないけどさ、国家権力ってのは怖いんだ。まさか本当に消されたりはしないにしてもさ」 「じゃあ……、マスコミからかくまってほしいとか」 「君は本当に気が早いな。まあ、いずれそうなるのかもしれないけどこのことで迷惑を掛ける気はないよ」  心配になる僕をよそに阿久津さんは朗らかに笑った。そしてふいにまた真顔になると、じっと僕の目を見つめた。 「藤崎」 「はい」  僕は知らず知らず居住まいを正した。 「君は変わらない」  阿久津さんは柔らかく微笑した。 「そうでしょうか……」 「僕にはわかる。君は僕の人生で数少ない、信頼に足る誠実な人だという事が」  ある種の熱を帯びた繊細な空気に急にドキドキした。いや、この人の間に色恋じみた何かが今さら起きるなんて事ハナからないってわかってるのにさ。 「僕は昔から」  阿久津さんが語り出す。 「僕は昔から、自分の生きた時代に何がしかの爪痕を遺すのが男子の本懐だと考えていた。ただ、歴史の教科書に名前が載るような人間になりたいとかそういうことは、国益のためになろうと公務員試験を受けた時点で諦めてたんだけど」  僕の人生において、歴史上の人物になろうなんてことを本気で考えていた人も、それが現実味を帯びて信じられた人も唯一この人だけだろうーーたとえそれがモラトリアム時代の他愛もない夢想だったとしても。 「まあだが、今回はからずも僕が告発者の役割を担ったことで国の仕組みの何かがちょっとでも変わってくれるなら、僕の今までの人生はそのためにあったとも言える。  人生もすでにハーフタイムを過ぎ……いや、官僚としての人生は一粒の麦として既に死した。先の見えないままこのまま無為に禄を喰むのは本意ではないし、上役の言いなりに監視つきの出向先に出向くのも嫌だった」 「そこまで覚悟を決めていたなら……何も言えないですね」 「君がしょげてどうする。在職中から温めてきたプラン、もう一つの夢がある」 「何ですか」 「今、日本のどこも地方は大変だ。そこで地域興しのためのNPOを立ち上げようと思っているんだ」 「ダイネツァオベル」のような教室でも始めるのかな、と思ってしまった自分が恥ずかしい。やはりこの人は僕のような凡人とはスケールが違う。 「それで、だ。君の街をフィールドにしようと考えている。あくまで候補の一つだから確定ではないが」 「なんだかよくわからないけど……すごいですね」 「発足の暁には君に共同代表を引き受けてもらいたい」 「ええっ?」  寝耳に水の超展開すぎて、頭が追いつかない。

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