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走れ兄弟、ヒーローの道を 8

「だ、だって僕なんか……」 「急な話ですまん。でも僕の右腕には君しか思いつかなかったんだ。こないだ会って話をして、ますますその考えが固まった」  先輩に「右腕」として考えられていたことが予想外で嬉しく、「ぜひ」と思わず言い出しそうになったがかろうじて冷静になった。 「だ、だって僕、スキルも地縁も人脈もないですよ。田舎でただ年だけ食ってきた、配達のバイトのおじさんですよ」 「そういうことじゃない。人脈は僕が作っている最中だしスキルやノウハウは彼らに借りればいい。これまでいろんな人間に出会ってきたが、僕のことをきちんと理解してくれていた人間は後にも先にも藤崎だけだった」  彼こそ僕が十代の純粋な時期に最も憧れ、尊敬していた先輩だ。そんな人にこんなふうに言われて舞い上がらない方がどうかしている。生涯にただ一人の、一つの心を分かち合える盟友ーー歴史に名を残したいなんて野望はないけど、それに値する人物の同志として力を貸せるなら、そして男の友情を築けるならーー例えば劉備玄徳と諸葛孔明、高杉晋作と伊藤博文、ヴィルヘルム・フルトウェングラーとパウル・ヒンデミット……シュウジとアキラ、なんてのもあったっけ?ーー全世界の一般人の平均値と中央値を足して二で割ったよりもさらに平坦で地味な僕の前半生と、緩慢なる衰退と転落の一択だった老後の予定から一発逆転、子々孫々に語り継ぐべき家宝レベルの自叙伝が書けるだろう(今のところ奏しかいないけど)  だが、舞い上がる一方で凡人レベルの疑問が次から次へと浮かんで来てしまう。阿久津NPOに飛び込んだとして、生活はどうしよう。せっかく見つけてどうにか馴染んでいる今の仕事は?そもそも人づき合いが苦手な僕が阿久津さんのような免許皆伝レベルのコミュニケーション強者の補佐が本当に務まるのか? 「僕だってできることなら全力で……人生を掛けてでも阿久津さんの応援をしたいのは山々なんです。でも」  せめて奏の就職が決まって落ち着いてからの話だったらなあ。ただおろおろするだけの僕に彼はまた笑いかけた。 「まだ仮の話だよ。後で企画書と詳しい資料を送るから、無碍に断らないで前向きに考えてくれよ」 「……わかりました」  難関大に現役合格して官僚になるほどの能力は真似できないけど、信念とか正義感とか向上心とか。そういうのを一生捨てない強い人間にはなれる、いやなりたい。そんな風に堅く信じていた時代が確かにあった。そんな自分のままでいられたなら、それこそ無限の可能性があったかもしれない。どうして僕はぬるま湯にだらだらと浸かれるだけ浸かっていたいタイプの人間になってしまったのかーー阿久津さんに「人生で無二の右腕」と言ってもらえた僕ーーあの頃の僕が本来の僕だったんじゃないだろうか。  家に帰ってまた家事と食いつないでいくための仕事、という現実的すぎる日常の繰り返しに埋もれてしまった僕の中に生まれたワクワクする音楽はもう止まらなかった。  それは先輩との吹奏楽部時代、まだ十代の柔らかかった僕の感性に響いた青春のフレーズの数々ーーショスタコの五番と七番、ラ・ペリのファンファーレ、華麗なるC・T・スミスとアルフレッド・リードにオリヴィア・ニュートン・ジョン……  平等な人間社会なんてものがたとえ共同幻想に過ぎなかったとしても、日本の関東平野の片隅で十円単位差で食材チョイスに悩む下流老人予備軍にも、莫大な仮想通貨を転がすオサレなニューヨーカー親父にもタックスヘイブンに巨万の老後資金を蓄える不動産王にも一つだけ平等なことがあるーー人生はただ一回きり。  そのたった一度の人生で、派手に一発当てたいとか一気に有名になりたいなどとは今さら考えていない。唯人さんがいなくなって以来、ただ息を吸って吐いて、昨日の惰性のような今日が来て、おそらく明日もそうして死なない程度に生きて行くのだろう。  さ来年の今頃、奏は大学を卒業して社会人になっているーー希望的観測だが。僕は五十歳になっていて『もうすぐ五十一だなあ』なんて思っている。  その時まで忘れられなかったら、唯人さんに会いに行こうか?しかし今度は僕が親の介護に直面しているかもしれない。うだうだとそのまま歳をとって、褒められもせず苦にもされない爺さんになる。  ぱっとしない老け顔キャラのくせに何だが、爺さんとして生きていく自分というのがどうも想像できない。もっとも十代の時は三十の自分が、二十代の時には四十の時分が想像できなかった。自覚のあるなしに関わらず物理的に歳をとるのだけはどうやら避けられない。  ならばせめて、日々新しい発見や出会いがあっていくつになっても上を向いて歩いている、疾走感のあるキラキラした爺さんに僕はなりたい。  

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