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星空の上にきっと神様はいらっしゃる……4
「フローイデ、シェーーーネル、ゲーッテルフンケン!ゲーーッテルフンケン!」
まだまだ口が回らず音程の上下についていけないアップテンポな部分が熱狂的に盛り上がり、急流がゆったりとした大河に注ぎ込むかのようにマエストーソの堂々たる終演部に向かう。
ピアノの後奏が再びアップテンポで派手に曲を締めくくった。
「はいっ、これが第九の合唱部分のラストですっ。皆さんよく頑張りました」
全体練習の最後、先生の言葉におお、という謎の歓声と拍手が飛ぶ。
五月の結団式から約二ヶ月。
「登山初心者がエベレストに挑むようなもの」
とも例えられるアマチュアの第九を「(比較的)簡単(?)なところからやる」畝川第九メソッドで途中をあちこち飛ばしながら前回の復習と新しい部分の習得を積み重ね、発音も発声も繰り返し直されっぱなしの課題だらけではあるものの、合唱部分の半分はさらい終えたし、今日は曲の最後の部分をやった。
僕は(そして多分みんなも)ある種の感動を覚えた。
幼稚園児だった頃ーーその頃から僕はインドア派のぼっち幼児で「お友達と外で遊びなさい」と本棚の前から強制退去されがちだったがーー外遊びの時間に「砂場の砂、全部使ってトンネル作ろう」という自然発生的なプロジェクト(?)が友達の間で持ち上がった。
もちろんそんなこと無理なのだが、集められるだけの砂を積めるだけ積んで、座るとお互いの顔が見えなくなるほどの大きな砂山をこしらえた。僕は映えある堀り役を獲得し、「せーの」でトンネルを掘っていった。最初は張り切っていたのだが、掘っても掘っても土の壁。さすがに飽きかけた頃に反対側にいる相手の手をちょっとだけ感じられたーーあの時の嬉しさにも似ている。
「どうです。少しは『やってやった』って気になったでしょう。ここで満場の拍手とスタンディングオベーションが起きる……」
先生は愉快そうに笑う。
七ヵ月の間、同じ場所で同じ指導者のもと、同じ目標に向かって切磋琢磨し励まし合った仲間と世紀の大曲を歌い終える。
会場に沸き起こる拍手とスタンディングオベーションの中での恍惚感と多幸感。マエストロと奏者達の笑顔、会場を照らすライトに僕はきっとあの夏の日差しを重ねるーーそんな光景がちょっとだけ垣間見えた気がした。
「……はずなんです。ちゃんと歌えればね」
今度は僕らがどっと笑った。確かにまだまだすることは一杯だろうな。
「まあ、その前にチケット売って会場にお客さん呼ばないと、とか色々ありますけどね。
前から順番に、楽譜通りにさらっていった場合、初めての方はだいたい今くらいの時期にダレて第一の挫折がくるんです……いや皆さん、笑い事じゃないんですよ。難しい上に先がなかなか見えてこないってのはやってて辛いですからね。それで試行錯誤して、今の方式に落ち着いたってわけです」
合唱団員だけではなく先生もまた、指導と演奏会を繰り返す中で進化してきたのかもしれない。
「これまでのところもまた、繰り返し復習しますから。これからも諦めないでついてきてくださいね」
繰り返しやるから、諦めずにーー毎日、練習のどこかで必ず言われる言葉だ。正直、第九という曲は、週に一回の練習だけでは歌いきれないと練習を繰り返すごとに感じている。、
仕事や家事をしながら毎日……とは言わないまでも家で何度かおさらいして思い出さないと練習日のたびに消化不良になってしまう。
ダレるまではいかないが曲の難しさに「やる気スイッチ」の反応が鈍くなりかけていたのは確かだ。真新しい油を差して磨いて、スイッチは再びぴかぴかだ。畝川メソッドスゴい。
「よっ、どうだい」
練習後に斎木さんが話しかけてきた。
「どうっていうか……やっぱりテノールって高いですよ。跳躍も多いし目立つから責任重いし」
「ふうん。無理しねえったっていいんだで」
いや、テノールに入れたのあんたじゃないか。
「素人が第九歌うのに、無理しないで済む方法なんてあるんですか」
斎木さんは何故か愉快そうに「へへへっ」と笑うと
「そうだ、今年は新入生の歓迎会やるんだ。来るだんべ?」
新入生って、学校のサークルですか……
「今の時期にですか?」
「様子がわかって、知り合いの一人でもいなきゃ、誰も来たがんねえだんべ」
確かに。
「パンデミック前は毎年やってたんだが、久々にやる事が決まったんだ。今から場所押さえて周知徹底して……つっても暑気払いやらお盆やらで店も混んでんだろうし。それ過ぎてからだんべなあ」
8月の終わりだとして、本番まであと3ヶ月半のタイミング……それって果たして、新歓と言えるのか?
「また来週な」
首を傾げる僕の肩をどん、と叩いて斎木さんは行ってしまった。
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