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喜びよ!ふたたび 2

「ナオ君。ドアの事、ごめんなさい。自分で直す」  素麺を啜りながら考え込んで無口になった僕に、奏が謝ってきた。 「そうしてくれると助かる」  僕も奏もたいがい手先が不器用だが、DIY関係ならまだ奏の方が上手い。 「ひびの部分が目立たないよう直せればいいけと『なんちゃって』防音扉って事になってるからなぁ。出てく時に不動産屋がどう判断するかだよなあ。ドア一枚丸々交換って言われるかもしれないし」 「引っ越すの?」  奏は驚いて言った。 「あ、すぐじゃないよ。前にも言ったけどここは、奏が来たからこのまま住み続けることにしたんだ。奏が就職して一人暮らしになるとか、二人分の部屋が必要がなくなれば単身用の物件に引っ越す」  奏はほっとしたように「素麺お代わりしていい?」と聞いてきた。  数日後、奏は模擬面接をやるとかで、また東京に戻ることになった。 「また来てもいい?」  とスーツ姿で恐る恐る聞いてくる。  どうも、ドアの修繕費の事を考えながら部屋の前でちょいちょい考え込んでいた僕を見て、元恋人との思い出の部屋を壊されてショックを受けたと解釈したらしい。 「もちろん。じゃあ今度は一緒にホムセン行ってDIYな」 「発達障害の子は他人の感情が読めず言葉通りに物事を受け取ってしまう」とよく言われるけど、周りの空気を読んで同調したりするのが苦手なだけで、マイペースなように見えて実は繊細で心根の優しい子が多い。対人関係を損得で考えたり周りの人のありがたみが分からなかったりする人よりはよっぽど真っ直ぐで信頼がおける。  奏もそうだ。人に対する優しさと平均値並の正義感、万人受けしないユーモアのセンスを持っている。「理系オタクだからこそチェックのシャツを着ない」という謎の矜恃を持ち、独特のセンスがある。今だって量販店のスーツにリュックサックというちぐはぐな出で立ちだが、ニューヨーカーの通勤姿と言い張れなくもない。  奏は安心したように出かけ、彼から話を聞いた姉からは修繕費の事で電話が来た。姉も一人分の稼ぎで自分の奏の二重生活を支えている上、あのややこしい実家の(特に母の)見守りを丸投げしている負目もこっちにはある。  チャチな作りのくせにDIY修理が通用せず、一丁前に敷金が飛ぶようだったら頼むと答えておいた。  今年の就活も売り手市場だ、なんて脳天気なニュースを見たが来年もそうだといいな……バブル就活から一夜にして氷河期に転落するのを目の当たりにしたから今でもトラウマだ。  奏のように先の見通しが持ちにくい子にとって、複数の説明会や面接の日程を調節しながら不意の呼び出しにも応じなければならない就活生の生活は、かなり負担なはずだ。  時々部屋をのぞくと、机の前に吊るされた洗濯ロープも収納棚も、忘備用兼整理整頓用の付箋やメモでびっしりだ。俗世の力関係によって歪に歪められた水路を不器用ながらもなんとか泳ぎきろうとしている奏が痛々しくて愛しい。  かと言って姉も僕もどうしたって彼より先に寿命が尽きる。「俗世で傷つくくらいなら家にいてしたいことだけして生きたらいいよ」とも言えない。逃避癖のある引きこもり体質の叔父とは違って、本人がそれを望まないだろう。そこは頼もしい。  僕は閃いたーー阿久津さんのプロジェクトは「共生」とか「バリアフリー」という事を全面に打ち出している。もし奏の就活が難航したり、就職先でのステップアップが難しかったりしても、僕が関わる事でゆくゆくは奏が自分を活かせる居場所が創れるんじゃないか?  それが僕にできる事だとしたらーー  そうだ。まだこじんまりとまとまってる場合じゃない。自信は全くないが、チャレンジする価値はきっとある。  進め叔父さん、英雄(ヒーロー)の道を。

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