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喜びよ!ふたたび 6

 そうだ。パトカーに乗せられてここまで来たので、コンビニまで歩かなければ車に乗って帰れない。もちろん、誰か他の団員に声を掛けておけば二つ返事で乗せてもらえたのだろうが……  自分の存在感の薄さと要領の悪さを呪いたくもなるが、せいぜい2、3キロの距離だから歩いて戻れない距離ではないし、最近サボりなちなウォーキングの代わりだと思えばちょうど良い。何より誰かの役に立てた。  要は心の持ちようだーー歩き出して数分でよりによって今年最大級の、方向感覚が無くなるほどの雹混じりの豪雨に見舞われて都市遭難寸前の目に遭ったりしない限り。  決して善行に見返りや賞賛を求めている訳ではないし(いや、あればあったで嬉しいけど)自己不全感を拗らせてタタリ神もしくカスハラ製造機と化したり、挙げ句ネットニュースに載って炎上したりするよりは「ほめられもせず、苦にもされず」でいいと思っている。  だが、こんな形でタイミングの悪さがことごとく自分にX倍返しで降りかかるのは流石に理不尽だーーもちろん、誰のせいでもないんだけど。  もちろん、奏の買い物は結局忘れてしまった。  ちょっとやそっとの物陰で雨宿りしてもずぶ濡れになってしまうような豪雨は結局、僕がコンビニを目指している間だけで、家にたどり着いた頃にはすっかり晴れていた。  「利根川を泳いで帰って来た」と言っても真に受けられかねない格好で帰宅して「ぶえっくしょい」なんてやったもんだからほとんどドリフの大爆笑のギャグだ。事情を知らない奏は大爆笑した。  買い物を忘れた、と言うと 「ナオ君、使えねえなあ」  と冗談混じりで笑う。これは刺さった。 「じゃあ俺、自分で買ってくるわ」と部屋着のTシャツと柄物のステテコのまま出かけようとする奏の背中に、自分で買いに行けるなら最初から行けよ、と急に怒鳴りたくなったがぐっとこらえた。 「こっちだって大変だったんだよ」と低い声で言い返し、息をふーっと吐く。声が震えて涙が滲む。最近少し疲れ過ぎかな。  僕は風呂場に直行した。  奏は何かを察したのか、帰ってからいつものように自室に直行したりせず「ナオ君食べる?」とチキンを差し出した。  僕も奏が帰ってくる頃には熱いシャワーを浴びて乾いた部屋着に着替え、ようやく人心地がついたので練習後の飢餓状態を打開すべくキッチンで夜食を物色していた。 「食う。サンキュ」  リビングの窓を開け、エアコンではなく寒冷前線通過後の夜風を入れて涼んだ。奏が先に食べた夕飯の残りの素麺とチキンを合わせたらなかなか贅沢な晩餐だ。 「団員の子どもさんが迷子になってさ……」 「まじ?」  奏の声が同情するような調子に変わった。 「それで捜してたのか。見つかったん?」  僕には好き放題言うけど基本的にはいい奴なんだよな。 「いや。まあ、それでずぶ濡れになった訳でもないんだけどさ。結論から言うと、僕がコンビニで見つけた。ちょっとした警察騒ぎになってたんだけど」 「偉いな。ナオ君、スーパーボランティアじゃん」 「なんだよそれ」  後でよく考えたらあの警官の態度、絶対僕のことを不審者とか容疑者扱いしてたよな。この年まで拾った金は交番に届けてきたし歩行者が横断歩道にいればちゃんと止まっているし、善意でしたことを疑われるなんて理不尽だ……とだんだん腹が立ってきた。  だが、世の中には子どもが巻き込まれる陰惨な事件がいくつもおきている。あの警官は自分の仕事をしただけなんだーーそれにしても生きづらい世の中だ。  それでいいのか。「地域で子育て」なんて大仰なスローガンを叫ぶ気はないんだが。よろず屋のおじさんや八百屋のおじさん、あるいは煙たいカミナリ親父……奏はかろうじてそれら絶滅危惧種キャラの恩恵を享受できた最後の世代かもしれない。  僕も自然発生的な子ども集団が地域に健在だった時代のチャリンコライダーだったから、遠出した時に今日みたいな豪雨にあって、見かねたどっかの大人が業務用車に自転車ごと乗っけて送り届けてくれた事があった。  そんな見ず知らずの他人の善性を信じられる環境がもはや当たり前ではない。それは地球温暖化同様、僕ら大人がちょっとの利便性や物欲と引き替えに未来の世代に伝えることなく奪い取っている物の一つじゃないのか。  僕らの予想もつかない事件が世間でいくつも起こり過ぎたせいで、遊び場も校庭と学童保育だけとか、高校の文化祭も家族限定の招待制とか、アメリカみたいなスクールバス通学とか……当事者だけで子どもを抱え込む方向に行くしかなくなっていくのかもしれない。  世の中、刑務所行きレベルの悪人に遭遇しないまでも、悪意のある人や理不尽な出来事というのはその辺にいくらでも転がっている。それでも、僕らが考える以上に世の中は小さな無償の善意が積もり積もって成り立っているーー少なくともそう信じたいし子ども達にもそう伝えてやりたい。  彼ら彼女らが大人になって生を放棄したくなるほど辛い出来事に出会ったとき、それでも人生は生き抜くに値するーー血の汗流して涙を拭き、耐え難きを耐え忍び難きを忍んだとしてもーーそう思い直してもらいたいのだ。  

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