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きっと見守っている 2

「券の売り上げが足りない。このままでは赤字なのでまだ売ってない人は云々」と毎日のミーティングのたびに部長、副部長、会計から順番に(あくまでも穏便に、あるいは泣き落とし風に)プレッシャーをかけられる。  とはいえしょせん学校の部活動だから幸い「売れなければ個人で買い取れ」というほどの強制力はない。が、そこは十代ならではの捻りも忖度もない真っ直ぐな人間関係だからこそのプレッシャーがある。  クラスの友人に頼もうにも、少ない小遣いを負担させてまで頼み込めるほど親しい奴は少ない。友人の多い奴は難なく十枚二十枚と売っているってのに……僕ほどの悪夢ではなくても音楽関係の部活経験者は程度の差こそあれこの手の苦労を経験しているはずだ。  時は昭和のツッパリブームから平成のヤンキーブームが到来しようとしていた(違い?知らん)  そんな時代の男子高校生なんてほとんどが「クラシックって何」状態だからチケットを売るにはつきあいの深さとか社交好きとか、僕にはないスキルが要る。ましてや普段「ダサいオタク」扱いで敬遠されている一般女子になんか恐ろしくて声すらかけられない。救世主キャラの優等生や断れないタイプの友人には、僕がやっと勇気を出して声をかけた頃にはすでに誰かが先に声をかけてしまっている……なら家族に買ってもらえばいいじゃないか、と思われるかもしれないが両親には何となく観にきて欲しくなかった。  当時、大学生だった姉は社交的で友人も多かったから、頼めば何枚でもさばいてくれただろう。しかし姉に頼むと自動的に両親に知られてしまう。それだけは避けたくて、逆にそれだけをモチベーションに不向きなセールスを毎年頑張っていたのだが、結局毎年「もっと早く言ってくれればもっと売ってあげたのに」なんてお気楽な姉にぼやかれながら最後の最後に頭を下げるはめになるのだ。  両親は三年間、きっちり演奏会を聴きに来た。演奏会が無事に終わり、達成感一杯で家に帰ると両親による僕の糾弾会が待っている。  耳だけは肥えている父は演奏上の技術的なことや構成上のアラをネチネチとけなして「息子の部活だから大目に見るが自己満足のための芸術ならやらんほうがいい」と締めくくる。母は僕の舞台上でのちょっとした仕草やミスを「直せるともっといいわね」と優しい口調で細かくダメ出しする。この辺が第二の悪夢だ。  券だけつきあいで買ってドタキャンでもしてくれればまだ親切なのに。姉と姉の友達だけは「よかったよ」とほめてくれたのがせめてもの救いだった。  繰り返しの成果で音符と歌詞を一通り追えるようになり、だんだん長いフレーズが自然に歌えるようになって、歓迎会以来チギラさんとは「合唱団友達」と呼べそうな仲になり毎日の練習も楽しくなってきたというのに…… 「一人で三十枚、四十枚と売ってくれている団員さんもいますが、昨年の同じ時期と比べるとまだまだ下回っています」「演奏会の成功は皆さんの頑張りにかかっています。職場の方やご近所の方、お友達などにもう一回り気軽に声をかけて」云々。練習後のミーティング時、事務局長の志塚さんに檄を飛ばされるたびにに十代のトラウマが蘇る。  だが高校時代の三年間、いや卒業してからも累積赤字が酷いから演奏会を中止にしようなんて話は出なかった。僕がチケットを売れようが売れまいが何とかなっていたんだろう

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