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共に生きよう 6

 小松姫は戦国時代の女性で真田信之に嫁いだ。真田家は一族の存亡をかけ敢えて関ヶ原の戦いで敵味方に分かれたと言われる。  夫・信之が東軍として出陣した後の沼田城を守っていた折、敗走して助けを求めてきた西軍の舅・真田昌幸を毅然と門前払いした。  戦国時代版ビッグダディ昌幸は「さすがわが息子の嫁。真田家はそなたに任せた」と、いかにも戦国武将チックな台詞をカッコヨク吐いて去ったが、小松姫は後でこっそり手をさしのべた……という(少なくともこの地域では)有名な逸話らしい。  個人的には後世の舅世代が「ザ・息子の理想の嫁さんドリーム」として多分に脚色したものではないかと思っているが、地元で生まれ育ち小松姫に親近感を持つ人達には言えない。  アカリちゃんはニコニコ聞いてるけど、わかるのかな?   実質的にホスト役だったチギラさんは、これから食事だ。「カルメン」の「ハバネラ」の場面よろしく広場の男女(ただしシニア寄り)から次々にかかる誘いの声を愛想笑いで華麗にスルーしつつ僕の隣の席に座った。僕は思わすカウンターチェアから滑り降りて起立した。 「お先にご馳走様でした。料理も美味しかったけど、コーヒーは格別ですね」 「座っててくださいよ」  チギラさんは可笑しそうに笑った。僕はまた席に掛けた。 「せっかくだからこの味を飲んでもらいたくて」  僕の好きな全開の笑みだ。 「奏君には大変な思いをさせてしまって。車だと思い込んでて、軽い気持ちで頼んだんですよ」  まあ、あるあるだな。地元の学生だって大半が車通学だし。 「昨日ここに容器取りに来てくれた時、自転車だったので驚いたんですが、もう依頼してしまったし彼ならやってくれそうだと思ったもので……ですが、やっぱり無謀でしたね」  チギラさんはしゅんとなった。ここと自宅も自転車で往復一時間半はかかるんじゃないか? 「いつもは自分で汲みに行くんですが、今日は時間的に厳しいと思って。あ、人件費は会費には入れてませんから」  何だかかえってこちらが申し訳なくなった。 「いつも忙しそうですもんね」 「マッハっすよ、がはは」  チギラさんは漢てイケボな笑い声で答えた。 「そのうちアレになれるんじゃないかな。何だっけな。ほら、ロボットがアニメで奥歯でカチカチ言ってスピード出すやつ」 「サイボーグ戦士009の加速装置?」  世代柄、即答してしまった。リアルタイムど真ん中の初代世代だ。 「そうそれ、加速装置。あれ本当にあったら欲しいです」  そう言うとチギラさんはまた豪快にアハハ、と笑った。きっと分刻み、いや秒刻みのスケジュールで急いでいるときほど子どもはぐずるしハプニングが起きて仕事は増えるし……ネタにして笑い飛ばさないとやっていけない日々なのだろう。20世紀ソ連の作曲家ショスタコーヴィチも「バビ・ヤール」というメッタクソ暗い合唱曲の中で「ユーモア最強」と歌っている(そうだ) 「この前はお手柄でしたね」  僕と奏の間に椅子が一つ空いていて、そこに畝川先生がひょいっと座った。先生の作務衣は藍糸に数色の色糸を複雑に織り込んだ生地で、ぱりっと音がしそうなくらい糊が効いている……今年の新作なのかな。 「藤崎さんの甥御さん?」   畝川先生は今度は奏に話しかけた。 「学生さんなの?君も合唱やらない?」  顔に出ないけど、すっかりでき上がって上機嫌だ。 なんて話しかけたが、奏は笑顔で「いやあ、叔父と違って音感ないんで」と受け流した。  普通の就活生らしいそつのなさに驚いた。成長したな! 「音感のない人なんていませんよ。音楽は聴くんでしょう。どんなのが好きなの?」  奏が出した動画系アーティストの名前に先生がふんふんと頷く。先生が最近の流行歌手に明るいのと、威圧感を与えず初対面の若者の懐に入る術に驚いた。  奏は鼻歌なら素に戻った時よく歌うし決して音痴ではないと思うのだが(変なブレイクダンスを踊っている時もあるが、これらは心のバランスを取っている時間なので、よほど迷惑でなければ止めたりコメントしたりしてはならない)合奏や合唱への苦手意識は保育園以来の筋金入りだからな……畝川先生みたいな音楽の先生に会っていたらきっと違っていたのかもしれない。  まさか家に帰って一転、「誘わないって言ったじゃん!」なんてキレたりしないよな?

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