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共に生きよう 8

「本人とも話をしたし、担任の先生に相談もしたんですが、これといった理由もなくて。それで日中はつきそい登校をしたり『早退したいときはしてもいい』という条件つき迎えに行ったり、アカリに合わせた生活にしてて」 「それは大変でしたね」 「第九の練習の時は実家の母がアカリを見てくれてました。そんな状態だから、今年は諦めようかとも思ったんですが、コンサートは聴きに来たいってアカリがいうんです。それで、また母に預けて練習に来ようと」 「よかったですね」 「第九のコンサートを二人とも楽しみにしてるし、仕事以外では唯一の自分のための時間なので俺も嬉しかったんですよ……ところが、教室を終わらせて実家にアカリを連れて行ったら、母がどこにもいなくて」 「ええ?何かあったんですか」  チギラさんはふうっとため息をついて、また怒ったような口調で話を続けた。 「何もないです」「?」 「でも、連絡もつかないし……」  こんなことで休みたくないと思ったチギラさんは、アカリちゃんを連れて練習に行こうと思い、夕飯を買うために途中で上州マートに寄ったという。 「元々三十分くらい遅刻してた上にいらいらしてたもんだからそこでアカリとケンカになっちゃって……」 「上州マート?コンビニじゃなく?」  文化センターの近くにも上州マートの店舗がある。以前棚替えのバイトに行って今の仕事に誘われた。が、直線距離で少なくとも3キロ、アカリちゃんを見つけたコンビニからもさらに3キロほど離れていると思うが。 「コンビニにしかない種類のおにぎりが食べたいって言って、言い出したらきかないんですよ。どうしてこんな時にわけのわからないことを言うんだろうって思って、つい『勝手にしなさい』って怒鳴ったんです。気がついたらいなくなってて」  チギラさんはしょんぼりと頭を下げた。まあ、普段優しい「おーさん」に重低音で怒鳴られたら誰だって……ん?  あれ、でもアカリちゃん、コンビニにいた時そんな悲壮感あったか? 「ま、まあ……子どもを育てているとそういうことってありますよね。たまに預かってるだけですが、僕も奏にさんざんやらかされました」  ふと「大人の方が迷子になった」と言わんばかりの奏の言い草を思い出した。今なら完全に笑い話のネタだが……ん?似てる?、  チギラさんは迷子の呼び出しとか、近くの店や公園を探すとか思いつくことはひと通りしたが、どうしていいかわからなくなり、高校時代の声楽の先生でもあった畝川先生に電話したという。警察はスーパーの人が呼んでくれたそうだ。  チギラさんはやりきれないという調子で話しながらため息をついた。世の中で起きた事件を考えると親は生きた心地しなかっただろうな。 「母も警察から自宅待機を頼まれてたはずなんですが、見つかった連絡が来た途端にここに来て。第一声が『人様にまで迷惑をかけて大騒ぎなんかして恥をかいた』ですよ。あの人は自分の事ばかりです」 「大変でしたね。でもアカリちゃんは無事だったんだし、お母さんもうっかりしてたんでしょう。これから気をつけてもらったらいいんじゃないんですか」  子育てにはこれからもお母さんの協力が必要だろうし、仲直りした方がいいと僕は単純に思ったのだが、チギラさんは眉間に険しく皺を寄せ、ゆっくりと首を横に振った。 「約束を忘れてただけなら、俺だって怒りません」  チギラさんの表情も口調も静かではあったがこれまで見たことがないほど硬かった。 「アカリは実は発達障害って診断されてるんです。軽度の注意欠陥発達障害ーーADHDだって」「えっ」 「小2にしては言動が幼いでしょう?」 「ううん。どうかな。僕は身近な子どもといえば奏しか知らないし。診断名が一緒なのに、人それぞれなんだなーって思って」 「えっ?」  チギラさんは不意をつかれたような顔をした。 「奏君もそうなんですか?そうは見えない……」 「アカリちゃんだってそうは見えませんよ。子どもらしい子だとは思うけど。奏なんかあのくらいの時、大人だけが集まる場所になんてとても連れていけなかった。奏は姉の子なんですが、小学校の時に診断されたんです。その時は姉も僕も『何それ?』って感じで……」

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