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きっと見守っている 13

   あんな自虐ネタ混じりの愚痴、書かれてたなんて……とても恥ずかしい。 「あの時は僕も悩んでたんですよ。それでつい。でも、大丈夫そうです。つき合いの広い先輩がかなりまとまった数を買ってくれそうで」 「そうですか。なら、よかったです」  チギラさんはふと思いついて聞いた。 「ああそう言えば、今週お便りに載っていましたね。『新入団員のFさんが五十枚売り上げて大健闘』って。あれ、スナオさん?」 「ええまあ」「すごい!よく頑張ったじゃないですか」  チギラさんに褒められると悪い気がしない。いや、実はかなり嬉しい。つかえていた重荷がとれてすっきりしただけでなく反動で踊り出してしまいそうだ。単なる幸運であって僕の努力や人徳の結果でないことはわかっているんだけど。 「俺はそこそこです。合唱団もオーケストラも乱立地帯なので東京組はなかなか難しいですね。展覧会とか発表会とか、お互いのチケットを売ったり買ったりしてますよ。頑張ろうっと」  僕の好きな、屈託のないチギラさんがそこにいた。  僕が叔父の顔や人畜無害な真面目顔の下に、高校の制服を着たままの泣き顔の老人を隠し持っているように、この人だって父親と芸術家と人間の業の間で必死にバランスとっているし、キラキラしていそうに見えて水面下で必死に水を掻いている……という事なのだろう。    また来週ーーと急にがらんとした空間に放り出された僕は理由もない不安に襲われたーー奏の就活も大学生活もそこそこ順調、指揮者練習も無事終わり、僕は仕事も夢もあり懸案のチケットだってさばけたってのに?  先週、意気揚々とーー「自信満々」同様、僕の辞書にそんな言葉が載っているはずがないと思っていたのだがーーチケット販売専用の受付に乗り込んだときの光景を懸命に思い出した。斎木さんや花田さん達の「五十枚も売ったんかい?あんちゃん、頑張ったなあ」「新入団員記録の更新かもしれない」「値段の高い座席はなかなか埋まらないから、助かるわ」との賞賛の声に囲まれ、恐縮しながらSS席五十枚分の束を受け取った。ニュースに毎週載る先週の売り上げグラフは僕の分のおかげで派手に急上昇、イニシャルながらニュースにも載った。 「チケットが売れない」という負い目は「団の役に立てない」という負い目よりも「自分はチケットを買ってくれるような親しい人間のいない、無益な人間である」という劣等感だったのだとこの時気づいた。  だが今の僕は自分のことを「このまま世の中の隅に捨て置かれるべきでない、何か有益なことのできる人間である」と改めて確信していた。一人では無理でも阿久津さんと一緒ならきっと何か僕らにしかできない素晴らしいことができるはずなんだーーこの先どうなるかはわからないが何年かしたらチギラさんのような人と釣り合う人間として第二の人生を歩けるようになるのかもしれない。  ここ二週間ほどは安堵感と充足感に包まれた幸せな気持ちで一杯だった。唯人さんがいなくなって以来初めてかもしれない。  それなのにここに来て、心の中の雲一つない秋晴れに正体不明の影がうっすらと差す。このまま放っておいたら真っ黒に広がって全てを台無しにしてしまいそうな不吉な影だった。 「バカだな」と僕は頭を振ったーー「幸せすぎで怖くなる」なんて、恋愛ドラマのヒロインじゃあるまいし。阿久津さんは前職の引継ぎやNPO立ち上げの下準備で忙しいらしく、なかなか直接連絡がつかないがーーチケットの購入を報告のメールは確認してくれてるだろうし、郵送したチケットもそろそろ受け取ってくれて連絡が来るはずだ。

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