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きっと見守っている 4

「いよいよ本番まで二ヶ月ですねえ」 「そうですねえ」  ダイネ・ツァオベルのドアと窓を開け放して緑の木立越しに裏庭の風を入れるのが心地よい気候だった。  チギラさんに誘われて念願の平日休みの昼下がり、チギラさんと二人であの大きな一枚板のテーブルにゆったり座り、秋のお気に入りだというブレンドを味わわせてもらっている。 「アカリが学校に行き出しました。いつか落ち着くかもしれないと思ったら、少し先が見えた気がしました」 「アカリちゃんはきっと大丈夫ですよ。学校に行ければそれに越したことはないですが、もし行かなくても。それに『いつか落ち着くかも』というのとはちょっと違うかもしれません」  僕の言葉に、チギラさんは黒目がちな目を見開いて聞いた。 「どういう事ですか?」 「『普通の子みたいに』『落ち着いてほしい』と思う気持ちは僕もすごく理解できる。でもチギラさんにとっての『普通』って何?」 「ええと……」  チギラさんははたと立ち止まった。 「奏は保育園の頃、泥団子作りや粘土細工が大好きで、小学校に入ってからは台所のアルミホイルと割り箸をセロテープでぐるぐる巻きにして不思議な前衛作品を作り続けていた。部屋の隅で空想の勇者と会話し続けたり……  チギラさんこないだ、『学年の割に幼ない』と言いましたよね?低学年の子なら微笑ましいんだけど、高学年や中学生の子がそうだったら大人にはちょっと理解しがたいでしょう」 「そうですね」 「それにかなり大きくなってからも、ちょっと広い場所に連れて行くと大声を出したり走り回ったりしてて。もちろん注意してやめさせるんだけど、結局一緒に外に出なきゃいけなくて、大人の用が足りないことなんてしょっちゅうだった。それも成長したら少しずつ我慢できるようになった。  これは僕の持論だけど、変な遊びも奇行も本人の気が済むまで全部やり終えたらちゃんと卒業できる。中学の時、不登校になった奏を預かって観察して、それで確信しました」   家族は社会の最小単位であり、社会にはルールがある。それは守らなければならない。  だが、実はルール化したらおかしいことの方が多いんじゃないか。例えば「中学生になったらガンプラやDSが普通の遊びで、アルミホイル工作や『勇者ごっこ』や変なブレイクダンスで一人遊びをしているのはおかしい」なんて。  姉が主治医から「心のバランスをとるのに必要なことだから日常生活に支障がない限りそっとしておいた方がいい」と言われたと聞いて確信した。現に、いつの間にかやらなくなっていた。 「中学の奏君を預かってたんですか?すごいなあ」 「すごくはありませんよ。不登校になって、祖父母との関係がややこしくて見かねて。僕一人じゃ無理だった」  僕はまた唯人さんの事を思い出してしまった。 「『普通』とか『常識』なんていうのは百人の利害がぶつからない範囲でみんながひねり出した『最大公約数』に過ぎないんですよね。『世間並の普通の子に育てたい』という幻想に囚われすぎて、アカリちゃんなりのユニークな個性をそぎ落としたらそれに触れる幸せまで失ってしまうんじゃないですかね」  僕はそれを体感的に教えてくれた唯人さんの事を思い出してしまっていた。 「僕は、奏の創作物は不細工ながらに非常にユニークで前衛芸術の域に達していたーーと、身内の欲目ながら思います。当時は作ると気が済むから溜まったら分別に困りながら捨てて、とやってたけど。今は一ダースくらいとっておけばよかったと思う。今作ってくれって頼んだって、作ってくれないですからね」  チギラさんは大笑いしながら 「俺も見たかったです!奏君の作品」と言った。 「俺もアカリの絵をとっておきます。すごいペースで描くから、倉庫を借りなきゃかもしれないけど」  アカリちゃんの絵は多色のクレパスで、幼児のタッチではあるが紙の裏表にびっしりと、まるで細密画のように思いつく限りの色々な物が描き込まれている。 「将来、『天才少女画家』なんて億の値段がつくかもしれませんよ」  ひとしきり二人で笑ってから、 「ADHDについては十数人に一人とか数十人に一人はその傾向があると聞いた事があります。そんなの顔が不細工だとか逆上がりができない奴とかの割合と大して変わらないじゃないか。学年に一人レベルだった僕の運動音痴ぶりの方がよほど悲惨です」  と僕が言うとチギラさんは急に眉をひそめて 「藤崎さん。自分の事をけなしすぎなんじゃないですか」  と真顔で言った。

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