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きっと見守っている 11
「私、言いましたよね?『歓喜の歌』ですよ、皆さん。お顔が怖いです」
ここで全員、大苦笑。
だって、真剣なんだもの。ドイツ語なんだもの。
「ではもう一度、バリトン独唱のあとの『ダイネ ツァオベル』から。そうだ、女性もさっきのアレやりましょうか」
わっはっはっは……
指揮者ってもしかして、「笑いヨガインストラクター」なのか?(たぶん違う)
「そう、いい笑顔ですね。ピアノ、二小節前からお願いします」
「はい、すばらしい。みなさんちゃんといいもの持ってるじゃないですか。出し惜しみする人は私は嫌いですよ」
マエストロと合唱団の間にだんだんと、わくわくするような空気と見えないつながりができあがっていく。
「いいですか?歓喜です!皆さん、最後の方に行けば行くほど歓喜に溢れてください!自らも踊り、観客も踊り出したくような歌を!これは全人類分の喜び、至高の歓喜なんです!」
ラストのクライマックスになると合唱団ごと変なスイッチが入っいて、アドレナリンとドーパミンのチャンポンで酔っぱらっているような異様なテンションだった(Feuertrunken……)本当に踊ってた人も何人かはいたんじゃないか。
昔の経験からわかるんだけどこういう時、実力以上の音楽ができてしまう瞬間が本当にあるんだーー空中分解寸前の爆発力だから空回りして「分解」の方に行ってしまうときももちろんあるんだけど。
「そう、皆さん素晴らしいです。これが一度目でポンとできれば本番は大成功なんです。あ、でも本番って一回だけですからね。ちゃんとやってくださいよね。質問はありますか」
後込みして誰も手を挙げないだろう……と思っていたら、アルトパートの前列に座っていた新人の女性が挙げた。若い!度胸あるなっ!
「あの、本番では踊るんですか」
半分の人は「えっそうなの」と顔を見合わせ、半分の人は噴き出した。しかし六道先生は真顔でこう答えた。
「いいアイディアですね。『踊る第九』。世界初かもしれない」
今度は全員が真顔で顔を見合わせた。
「……ですが今年は練習の時だけにしておきますかね。予告もなく踊ったらオーケストラもびっくりして演奏どころじゃないでしょうから」
どこまで本気で言ってるのかわからないが六道マエストロは真顔だ。袖に控えている畝川先生が口を押さえながらニヤニヤしているのが僕の席から見えた。
団員全員で感謝の拍手を送り退場するマエストロを見送った途端、いつもの練習の十倍は力が抜けた。
畝川先生が締めの挨拶で、ひと月後にもう一度指揮者練習があること、それまでに指示を出されたことができるように曲を仕上げていきましょう、と呼びかけた。
「オケとソリスト達との練習は本番当日のリハーサルだけです。予算に余裕があれば前日のリハーサルもできるんですが……それは団員数同様、将来の課題という事で」
合唱団の台所事情はともかく、僕らアマチュアは何度も練習とリハーサルを繰り返しても本番で緊張しすぎて失敗することなんていくらでもあるのに、プロの奏者と指揮者という人たちは初演作品でもない限りたった数回のリハーサルだけでスタオベものの本番ををやり遂げてしまうのだ。改めてプロという人たちは本当にすごい。そしてその階段を途中まで登りかけていたチギラさんも。
今まで、プロの音楽家というのは僕らとまったくかけ離れたレベルで物を考えているものだと思っていた。特に指揮者のように、総合監督的な立場で個々の楽器の特性から曲の作られた背景まで高度に精通していなければならない人に関しては。
いや、実際そうなのだけれど、名指揮者というのは観客だけでなく奏者に対しても優れた話者でありパフォーマーであることが条件なのかもしれない。自分の中にどんな崇高な音楽があったとしても、それを他者に伝えることができなければそれは永遠に世に出ないのだから。
畝川先生や六道先生は僕らの位置まで降りてきて僕らに身近な言葉で語り、僕らも気づいてなかったきらきらした何かを見事に掘り起こして知らない高みに持って行ってくれるーーどこか阿久津さんと似ている。
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