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地球は青かったのさ 5

 畝川先生は首を傾げてこう言った。 「あれ?藤崎さん知らないんですか?あの人弁護士ですよ」 「えええええええっ?」  チギラさんが去年の演奏会プログラムを持ってきて見せてくれた。ひときわ目立つ「斎木法律事務所」の広告に、後頭部をハリセンですっ飛ばされたような衝撃が走った。 「本人は今、セミリタイアで補助的な案件だけだそうだけど。事務所の方はそこそこ繁盛してるらしいですよ」 「あんなに訛ってて裁判に勝てるんですか」  ぱし、っと今度はリアルの打撃音がした。斎木さんが戻ってきていた。 「『そこそこ』じゃねえで。誰も言ってくんねえから自分で言うが、勝訴率県内一さね」 「ちょっと斎木さん、保存用のプログラム丸めちゃだめですよ」  吹奏楽コンクールでいったら、県大会金賞&ブロック代表選出みたいなもんか?それは確かにすごいけど……いつかパワハラで逆提訴されちゃったりするんじゃないかな。  とりあえず、人ってホント、見かけによらない。  僕は今月の家計と自分の蓄えの残りとを計算し、件のチケットを10枚なら買い取れると申し出た。そろそろ演奏会関連の大きな支払いが始まる時期だと花田さんに以前聞いていたし。 「責任を感じて無理しなくてもいいんですよ」  と志塚さんは言った。 「SS席は先生と斎木さんにお任せするとして、S席買ってくれそうな方10人、本当に心当たりがありますか」  やっぱり正論で諭されて、何も言えなかったがどの道、自力では一枚も売れてないので最低限の努力はしなければならない。結局、S席5枚とB席5枚に振替えてもらったが、志塚さんがやや肩の荷が軽くなったような表情をしていたのも確かだ。  若い時なら自分の未熟さや自信がないことを理由に甘えられたのかもしれない。しかし三十代くらいの時に五十代の人たちにフォローしてもらうのならともかく、ほぼ五十代の僕が年下や親世代に近い人たちにフォローしてもらうのは違うような気がする。  僕が昔、世話になったり尊敬したりしていた五十代の人たちは(こういったやらかしをするかどうかは別として)少なくともこういった場合にはそうするであろう人達だったーー恐らくせめて半分は買い取って売りつけるなりばら撒くなりして集客までしそうだーーが、自分にできそうにない事を、目の前にいない人たちと「たらればもし」で比較したところで益はない。 唯人さん。僕は全部投げ出してしまいたい。悪いこともずるいこともしてないのにどうして僕がこんなことを背負い込まなければならないのか。理不尽すぎる。怒りにまかせて連絡先を抹消し、失踪してしまいたい。僕のことを誰も知らない土地で一からやり直したい。  ただ、あなたに会いたい。  いろんな事があり過ぎてーー逃避かもしれないがーー唯人さんに無性に会いたくなった。  一年間、忘れようと思ってアクセスしないでいるうちに、気がついたらSNSのアカウントも全て削除され電話番号もメールアドレスも使われていなかった。僕は追い討ちをかけるように打ちのめされた。  遠いし、来てくれる保証はないが最後の手段として、僕は実家の住所宛に手紙とチケットを送ってみたーーが、これも宛先不明で返ってきて しまった。 ーー何故? ーーお父さんに何かあった?それとも引っ越したのか?  僕はいてもたってもいられなかった。唯人さんが去ったすぐ後、僕が仕事を辞めた時、どうにかしてとり返しがつくうちにーーうだうだ考えてないで追いかければよかったんだ。  僕は、唯人さんが昔、名曲喫茶の昔のホームページを管理していた事を思い出し、記憶と検索エンジンだけを頼りにやっとサイトを堀り当てた。  トップぺージにカウンターがあり「あなたが何人目の訪問者です」なんて表示されている二○○○年代初頭の雰囲気満載の、ずいぶん懐かしい雰囲気のブログに到着した。更新は十年前の日付でストップしている。  唯人さんが多忙になったのと、使い勝手やセキュリティの都合で業者に任せてリニューアルするとか何とか言っていた記憶がある。ページが消えてなくてよかった!  店の情報は新しいホームページのリンク先だけになり、クラシック関連のブログ記事だけが残されている。僕は当時それほど興味がある無かったのだが、音楽雑誌はだしの詳細なクラシックレコード評で、思わず記事に読み入ってしまった。  管理人の年齢とか性別とかプロフィールとか、そういった個人的な情報は一切書いていない。本人が現在、ログインする事があるのかどうかさえ怪しい。  だが文章の癖や語り口が懐かしい。ところどころ入るジョークのセンスも似ている。唯人さんならこういう記事を書いてもおかしくない。これは、唯人さんのページなのだろうか。  僕はダメもとでブログの管理人宛にメールを送ってみた。もしこれで駄目なら僕にはもうできることがない……

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