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地球は青かったのさ 9

 傍目から見たら取るに足らない、コピー用紙以下の薄い壁だが、僕にとっては大きなブレイクスルーだ。これまでの色々がなんだか報われたような気分だ。  いっそまとめてかかってこいやあー!  いや、ハイになり過ぎた。コミュニケーション社会最弱者の挙動不審な中年オッサンキャラに代わりはないのでかかって来られても困るし、阿久津さんの件とか実際問題何も解決してないんだけどさ。  唯人さん、聴きに来てくれるといいな……あれから近況報告メールは送っているが閲覧が精一杯とのことで返信がない。医師の許可や付き添いも要るようだったが……  朝食もしっかり摂って荷物を手にいざ家を出ようとしたちょうどその時、プラットフォーム経由のビジネス特急便で僕宛の荷物が届いた。「地道にコツコツ、マンパワー」だった前職でだってこんなの、受け取ったことないぞ。  唯人さんからだーー僕はなんだか胸騒ぎがした。軽く平べったいがやけに頑丈に梱包されている、それでいてとても懐かしく手に馴染んだ感触のするその荷を解いたーーLPレコードだ。手紙やメモの類は添えられていないーー両の目から涙が噴き出し、僕は家の中でたった一人、めちゃくちゃな叫び声をあげた。 ーー唯人さんが死んだ。  ホスピス併設の自然食レストランで森と青空をバックに見送ってくれた唯人さんの姿が忘れられない。髪はすっかり白く薄くなり、やせ衰えて車いすに乗ってはいたが、笑顔を絶やさないのは僕の知ってる唯人さんのままでーー二人で屈託無く笑い合えて、永遠にこの時間が続くと信じられた頃のままだった。  最後の別れ際、唯人さんは言った。 「もし俺が死んでも知らせはしないよ。葬儀も出さない。海に散骨してもらうから、海辺に出た時は思いを馳せてくれ。手続的な事は親族に頼んである」  趣味が違うから貴重なレコードのコレクションの行方だけが気がかりだ、これはという物だけは生前に梱包しておいて、訃報代わりに昔の音楽仲間に届くよう手配しているーーそうも言っていた。  レコードは輸入盤で、大切に聴き込まれた跡のある紙ジャケットに書かれた曲名とアーティスト名をアルファベットでどうにか拾い読みした。英語ではないのだがなぜか半分弱くらい単語がわかるーードイツ語?  他ならぬベートーベンの第九だと気づいたとたん、手のひらでずしりと重量を増した。旅立たざるを得ない唯人は、ダメ人間のままずるずる生き続けてしまいそうな僕へのメッセージとしてこのレコードを遺したんじゃないか。  今すぐ聴きたい。聴きたいがしかし、家にはレコードプレイヤーがない。実家のものはかなり前に両親が処分してしまった。  唯人に会いに行ってはたしてよかったのかーー独自な美学を持っている人だったから、僕にも誰にも弱った姿を見せず、ずっと辺鄙な浜辺でも旅しているかのように思い出されたかったのだと思う。  いや、逆にもっと早く連絡を取っていたらきっと、彼に対してもう少し色々できたはずだ。  僕は今まで生きてきた人生で一番、自分の薄情さと臆病さを呪い、声をあげて泣いた。泣き疲れたままレコードを抱え、放心状態で座り込んだ。気づくとスマホが長鳴りしていた。知らない番号からの着信だった。 ーー唯人さん?  僕は救いを求めるように通話ボタンを押した。 「藤崎さん?」  女の人の声だった。 「事務局の志塚です。どうされました?」  不覚にもこの数十分でーーいや、ぼんやりしている間にもっと経っているーー今日があれだけ精魂傾けて目指していた第九の本番の日だということをすっかり忘れてしまっていた。ひな段設営も無断ですっぽかしてしまったことになる。 「ずっ、ずびばせぶ」 「えっ?藤崎さん、風邪でも引いたんですか?インフルエンザ?」 「いいえ」 「じゃあ今からでも来られますか。もうすく合唱団のリハーサルが始まります」  普段の僕なら大いに焦って軽くパニックになるところだが、僕には志塚さんの声がどこか遠い世界の無関係なニュースのように聞こえていた。 「ええと……あの、チギラさんいますか」  志塚さんは「チギラさん?チギラさんに代わるんですか?」と聞き返し、それから人を捜すようなやり取りが少し離れたところで聞こえた。 「スナオさん?」  しばらくしてチギラさんが電話に出た。声を聞いたらまた涙が沸いて出てきた。 「そうだったのか……それは辛いね」  チギラさんは情けない鼻濁音混じりの、相当聞き取りづらい話を辛抱強く聞いてくれた。 「そういう事情なら無理しなくてもいいと思う。けど……」  一年に一度の大事な本番には違いないのだが毎年、当日の体調不良や突然のお悔やみなどで七ヶ月の練習をフイにしてしまう人が毎年数人はいる、と聞いていた。パンデミック騒ぎの二年目、マスク着用で舞台に乗った年は十人以上が途中棄権したそうだ。  百人規模の合唱団だからなんとかフォローできているのかもしれないが、僕らのやっていたようなぎりぎり四十人編成の吹奏楽部なら一人欠けただけで楽器同士やハーモニーのバランスが狂ってしまうが、当時は誰かが本番当日に欠席するなんてこと考えつきもしなかった。社会人になって音楽をするということは、音楽も真剣にやるがそれと等価の重みをいくつも抱えながらそのバランスの中でやるということなのだ。 「唯人さん、今日の演奏会を聴きに来るつもりだったんですよね。それでも来るんじゃないですか」  ぱん、と横っ面を叩かれたような気がした。

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