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きっと見守っている 7

「ところで阿久津さん、年末は忙しいですか」 「土日なら空けられないこともないが、何だ」 「年末といったらベートーベンの第九じゃないですか。僕、地元の演奏会に出るんです」 「そうなのか。皆『年末の第九』と簡単に言うが、演奏する側にとっては難曲だ。しかし、オーケストラではユーフォニウムは使わないだろう。ベートーヴェンの時代はまだテューバもないし。パートは他の金管か?パーカッションか?」  器楽の人らしい阿久津さんらしい勘違いが微笑ましかった。 「いえ、合唱団の方に出るんです」 「歌の方か。藤崎は音楽をやめてしまったんだとばかり思っていたから嬉しいよ」 「最近始めたんですよ。下手の何とか、ですけどね」 「羨ましいな。僕の方こそ音楽は一生の友だと思っていたのに、ここ数年は演奏会にもろくに行ってない」 「阿久津さん、楽器吹いてないんですか」 「なんせ多忙でな。それでも出向で大使館勤務なんかした時代があってパーティーの余興用に古い楽器を引っ張り出したり、つき合いで毎晩オペラに出かけたり……なんて時期もあったんだけどね。音楽をやる動機としては不純だよなあ」  彼の技術と音楽的センスの欠片でもあれば……と渇望と焦燥を感じていた十代の時を思い出して複雑な気分になる。天は一人の人に恵まれた環境と複数の優れた才能を与えては簡単に捨てさせる。 「音楽やる動機に不純もいい悪いもないでしょう。阿久津さん、僕なんかより音楽の才能があるんだから、やめてしまったら本当に勿体ないですよ!」 「そうだな。新しい生活とともにまた音楽と一から向き合って見るのも悪くない。君の見解は少し違うな。『昨日レコードで交響曲を聴いた者よりも今朝髭を剃りながら鼻歌を歌った者の方がより音楽の神髄に近いところにいる』……かのベルリン・フィルの主席指揮者を帝王カラヤンと争いながら、芸術性に対する妥協のなさゆえに破れ『幻の指揮者』とまで呼ばれたセルジュ・チェリビダッケの名言だね。ゆえに今は僕よりも君の方が音楽家としては一流だ」  僕はくすぐったかったがとても嬉しかった。阿久津さんはチェリビダッケが好きーーというより崇拝していた。昭和の高校生にしても渋すぎる。阿久津さんに会わなかったら僕はその名指揮者の存在すら今の今まで知らなかったろう。 「第九の合唱団に入っているということは君、演奏会に出るんだな。オーケストラは地元の北関東フィルか」  なんだかんだ、阿久津さん今でもものすごくクラシックに詳しい。 「日本の地方オケのうちではそこそこ聴ける方だな。指揮は?」 「六道卓(ろくどうすぐる)先生です」 「なるほどね。日本人指揮者で僕が最も評価する人物だ。それは楽しみだな」  昔から音楽家に関して辛口評だった阿久津さんがまずまずの反応だったのが嬉しくなった……いや、僕らがほめられたわけじゃないんだけど。 「演奏会聴きに来ませんか?」 「ううん……それはちょっと考えさせてくれ」 「やっぱり忙しい……」 「そうじゃないよ。藤崎には悪いが合唱団のレベルが未知すぎるからなあ。第九第九って年末になるとみんな騒ぐけどさ、聴くに耐えないアマチュア合唱団って実際多いからね」  踊って弾んで膨らんでいた気持ちがしゅんっ、と音をたててしぼんだ。 「あんまりひどいと僕だって演奏の途中で席を蹴って帰ってしまうかもしれない。そういうのは失礼だしお互い不毛だろ?」 「それは……大丈夫です!絶対阿久津さんを納得させます。保証します!」  僕は全国のアマチュア合唱団の中で自分の団がどのくらいのレベルにいるかもわからないくせにむきになった。あの畝川先生が毎週せっせと発声練習させて根気よくダメ出しし続けているんだ。そこまで悪くはないはず……と思いたい。  阿久津さんは愉快そうに笑った。 「わかった。なら行く」 「……えっ?」 「藤崎がそこまで自信を持って言うんなら、少なくともアマチュアの平均を超えたレベルの団なんだろう」

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