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きっと見守っている 8

「あ、ありがとうございます!さっそくチケット送ります」 「いや。あえて意地悪なことも言ったが、藤崎がせっかく部活以来の音楽の大舞台に立つんだ。買わせてもらうよ。一番いい席はどこ?」 「SS席で四千五百円です」 「へえ。やっぱり地方だと安いんだな……ああ、言っておくけど、時間がないなりに某国内トップオケの定期会員として長年コンサートに通い、海外オケの来日公演も欠かさず聴いてきたんだ。僕の耳は肥えているぞ」 「はい。もちろん命懸けでやります」  阿久津さんは声を立ててまた笑った。 「本当に君は変わらない。じゃあさ、SS席を五十枚くらい取って置いてくれる?」  ええええええ!  僕は自分の聞き間違えか、阿久津さんのいつものわかりづらいジョークだと思った。 「あ、SSってそんなに数がないか。じゃあS席も合わせて五十枚で」  阿久津さんは至って真面目のようだが念の為、もう一度聞き返した。 「いいや、本気も本気。実は県内の政財界の若手や優良NPOの主催者と年内に私的な会合を持つ予定なんだ」 「すごいですねえ」  同じ早期退職者でも、コンビニに置いてある無料求人誌をめくるのが関の山だった僕とは月とスッポンだ。国内トップレベルのできる男は違う。同じ高校の、同じ部活のOBのはずなのにどうしてこうも差がありすぎるのか。 「その後親睦でも……と思っているんだが、接待ゴルフってのも『いかにも』だしね。それにそっちの冬って、風強いんでしょ」 「いや。確かに『上州名物空っ風』なんて言うけど、最近は昔ほどじゃないですよ。家のドアが開けられないとか、自転車乗れないとか、橋渡ったら車が揺れるくらいで」  僕は真面目に現状を報告したのだが、阿久津さんはジョークだと思ったらしく大笑いした。僕も「上州人化」が進行して麻痺しているのか。 「屋外だと寒いだろうし、地元名物の第九聴いて食事会ってのがいいな。文化行事っぽくてさ」  接待で第九か……なるほど。阿久津さんらしくてスマートだ。歴代若手首相と呼ばれる人たちの「逆指名スタンドアップ記者会見」だの「料亭の代わりに高層階レストラン」だの「派閥という名の勉強会」だのよりよっぽどクールだ!阿久津さん、早く政治家になってこの国をよくしてくれたらいいのに……ああでもそうなったらきっと、もっと遠くにいってしまうんだろうな。 「本当にSSとS席で五十枚とっといていいんですか!緊張してきた!地域の未来が懸かってるなら合唱団も責任重大ですね!」 「そうだよ。それにたとえ四千円じゃなくて百円とか二百円だったとしても、人から金もらって演る以上責任がある。いくら部活の演奏会だからって『好きだから』とか『やりたいから』だけじゃ通用しないんだって、僕が高校生の時に何度も言ったろう」  僕は十五歳の時の僕に戻って、電話口で何度もうんうん頷いていたーー光の射す方に向かいながら身が引き締まるような感覚ってもう何十年も忘れていた。阿久津先輩、ありがとう。音楽が好きでよかった。阿久津先輩と出会えて、そして再会できてよかった。  本当の僕としての人生第二章は、たった今から始まるんだ。

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