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地球は青かったのさ 2

 いやそんな馬鹿なことあるか。腐っても民主主義の法治国家だぞ。僕は気を取り直してもう一度僕の知っている阿久津さんの経歴と高校の先輩後輩だということ、支払いの必要な荷物が戻ってきてしまったので連絡を取りたいことを手短に告げた。内部告発とNPOの件は省いた。 「少々おまちください」  さらに延々と保留音……親切なのか慇懃無礼なのかわからないが根比べに負けるのを待たれているような気もする。「悪徳商法の会社に電話番号直撃」なんていうドキュメントバラエティーでこんなシーンがあったような…… 「お電話代わりました」  突然、さっきとは別人の、落ち着き払った女性の声が聞こえた。 「私、阿久津正崇と同期入省の、芳川と申します」  阿久津さんを知っている人がいたことで僕はほっとした。女の人は阿久津先輩の出身大学と卒業年次を聞いてきた。 「藤崎様のお探しになっている阿久津という人物と同一人物のようです。ですが、阿久津はかれこれ二十年ほど前に当省を退職しております」 「にじゅうっ……?いや、そんなはずないです、だって」  今度は向こうが硬い口調で聞き返してきた。 「失礼ですが、もう少し詳しく事情を伺ってもよろしいですか」 「連絡取ってもらえるんですか?」 「いいえ。私も昔の同期だというだけでそこまでは。ですが、もし当省と無関係の何者かが退職した職員を騙ったなると、詐欺の疑いがあるため被害届も視野に」 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。詐欺とかそういうことでは」  そうだ。今となっては十分うさんくさいNPO副代表の話だって出資金名目で金をだまし取られたわけではないし、会ったときの食事も先輩のおごりだったし、チケットは返送されてきたし。客観的に考えてみると実質的な被害はない。先輩は何をしたかったのか?ますますわからず混乱するばかりだ。 「そうですか。でしたらこのお話は終わりという事でよろしいですね」 「ま、待ってください!」  お役所対応かよっ!とツッコミたかったがやめた。たとえこの芳川さんなる人物の言うことが本当で、二十年前に辞めたという阿久津さんと没交渉だったとしても、今、阿久津さんの真実に一番近そうなのはこの人しかいないのだ。このまま引き下がってはわけもわからずモヤモヤしたまま五十枚のSS席(と、代金)を抱え込むしかなくなる。 「あの、大騒ぎになった○○疑惑。僕はあれを阿久津さんが内部告発したって聞いてたんです。それで退職してNPOを立ち上げることにしたから、一緒にやらないかって言われてて」 「……」  芳川さんがなぜか、とても深いため息をついたのが聞こえた。 「……すみませんがそのお話、もう少し詳しく聞かせてもらえませんか」  芳川さんの文面にすれば丁寧だが完全に有無を言わせぬ口調が少し崩れた。僕はこうなったら誰でもいいから混乱している思いをぶちまけて、頭の中を整理したかった。僕はこれまでの情けなくもどうでもいい経緯を洗い晒い話した。我ながらあまりにイタいと思ったので男の夢ポエム全開のこっ恥ずかしいやりとりは端折った。 「ということは、実質的な被害はそちら様の送られた第九のチケット代金だけですね」 「いえ、チケットは結局返送されてきたので……ただこれ、うちのSとSS席の半分以上になるからこれからもう一度売り先を探さなきゃいけないんだけど……」  声のトーンがもごもごと内向きになる。阿久津さんの言うとおり、東京の第九より安いのかどうかはわからないが、少なくとも地方の演奏会としては高い席だ。こんな枚数、僕にはとても裁けっこない。演奏会前まで一ヶ月ををきったこの時期に、団にまるっと返却したらがっかりされるだろうな……いや、むしろ軽蔑される。その時の気まずさを考えたら泣きたくなる。これまでどれだけ言葉や音取りが大変でもチギラさんと距離ができてもそんなこと思わなかったのにーー初めて第九合唱団を辞めたいと思った。 「訴えるとしたら業務妨害の疑いがありますよね」 「いや、そこまでは!阿久津さんの同期って言いましたよね?警察沙汰にしたいんですか?」

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