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第6話
果たして、出来上がった芋粥は、流しへ顔を突っ込んで吐き戻すほどに鹹 かった。
「八合も水を入れてあったのに、どうしてこんなに鹹いんだ! うえっ! うええっ!」
「せ、先生っ! お加減が悪いんですか。私の病気が伝染っちまったのかしら、どうしよう!」
白帆が這うようにしながら、土間まで駆けつけてきた。
「い、いや。僕は何ともない。ただちょっと芋粥の調子が悪いだけだ」
「はあ、芋粥ですか?」
白帆は鍋を見て、匙で掬って口に運び、噎 せた。
「ずいぶん力強い味になさいましたね」
揃えた指先で口元を覆い、切れ長な目を細めて肩を震わせている。
「素直に鹹いと言っていいぞ」
舟而が口を突き出しているところへ、白帆はそっと自分の唇を触れさせた。
「ふふふ。ここまで塩っ辛いと上手くいくかわかりませんけど、手当してみましょうか」
白帆は鰹出汁を作る間に、舟而を使いに出して豆腐と長葱と卵一個を買って来させた。
「こういうとき、慌てて水を入れないほうがいいそうです。お夏さんの教えです」
狂いのない手つきで長葱を刻んで入れ、豆腐を鍋の上で手で崩しながら入れて、味を見ながら鰹出汁を入れ、仕上げに溶き卵を流し入れる。
「美味い!」
「よござんした。先生の芋粥の出来上がりです」
切れ長な目を細めて笑い、舟而は白帆を自分の腕の中に抱え込んだ。
「僕はちっともお前さんを休ませていない。主人失格だな」
白帆の黒髪に頬をあて、ゆっくりと背中をさする。
「いいんですよ。少しは動かなけりゃ、却って具合が悪くなっちまいます。少し寝たら、耳鳴りも、もうだいぶいいんです」
背中に腕を回されるだけで、自分の身体は簡単に熱を持ち、舟而は慌てて白帆の身体を引き剥がした。
「で、でもまだ油断はよくない。さあ、布団に戻りなさい」
白帆を布団の中へ戻し、舟而は傍らに座って、出来上がった芋粥を匙で掬って養ってやる。
自分の口の前で冷まし、唇に触れさせて温度を確かめてから、白帆の赤い口の中へ入れてやった。
「食べさせていただくなんて、子供みたい」
白帆は口元を揃えた指先で覆い、頬を赤らめて俯いた。
「たまには子供扱いもいいだろう?」
頬に唇を触れさせてあやす。
「私も、先生にも食べさせて差し上げます」
「僕はいいよ、あとでちゃんと食べるから」
「よろしいじゃないですか、ひと匙だけ。ね?」
白帆に小さく首を傾げ、上目遣いに見られて、舟而は口元をほころばせた。
「はい、先生。あーん」
舟而が口を開いたとき、玄関の戸がガラリと開いた。
「白帆ちゃーんっ!」
ごめんくださいもなく廊下を走る足音がして、玄関に近い場所から順々に襖や戸を開けて歩く音がして、とうとう寝間の襖が勢いよく開いた。
そこにはしっとりと美しい、線の細い男性が仁王像のように立っていた。
「ち、ちい兄様……っ」
白帆が驚いて手を離したので、茶碗の中の芋粥は、舟而の膝の上に零れた。
「熱っ!」
白帆は匙も茶碗も投げ出して逃げを打ったが、白帆の次兄はつむじ風のように静かな素早い動きで、抜かりなく白帆の行く手を遮り、両手を掴むと自分の両手の中に包み込んで、目を潤ませながら白帆の目を見る。
「暁天町の叔父さんに聞いたよ。可哀想に、目が回って耳鳴りがするって? 指先もこんなに荒れて。冷たいお水は触っちゃいけませんって言っているでしょう。クリームは使ってる?」
「何ということだ、さらに手まで荒れてるなんて、お可哀想過ぎる!」
「冷たい水なんて触ったら霜焼けになります」
「お嬢様の美しい手が凍傷になったらおおごとだ」
気付けば舟而の背後には、白帆の実家、銀杏座の一門が寝間いっぱいに乗り込んで来ていて、口々に意見を言う。
「ね、白帆ちゃん。もう修行はお終いにして、家へ帰っていらっしゃい!」
「ちい兄様……っ」
ぶんぶんと首を横に振る白帆の頬を、手荒れなど皆無の白い両手で包み、目をしっかり合わせて話して聞かせる。
「いいこと、白帆ちゃんは役者なの、それも女形なのよ。いつまでもこんな主婦みたよなことをして、糠味噌臭くなっちまったらどうするの。お客様は毎日の憂さを一刻忘れるために芝居小屋へお越しになるのに、その舞台に立つ女形がおひい 様の姿で、所帯染みた糠味噌の匂いをさせていたら、ぶち壊しじゃないの」
白帆にしっかりした口調で話して聞かせると、次兄は舟而のほうへ振り返った。
「今までお世話になりました。白帆は連れて帰ります。また改めてご挨拶に伺います。今日は車を外に待たせていますので、これにて」
膝の前にすらりと手をついてお辞儀をすると立ち上がり、門人たちは白帆の布団を取り囲んで、「せーのっ」という掛け声と同時に布団ごと白帆を持ち上げ、あっという間に運び去ってしまった。
寝間の真ん中に一人取り残されて、舟而は動けずにいた。
「芝居は大衆のための娯楽、舞台の上のお姫様が糠味噌臭くてはいけないという説は、確かに一理あるかも知れない……」
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