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第17話

 躍進座の頃と違って、脚本を書き始める前に、まず会社へ企画書を提出しなくてはならない。 「会社と専属契約している先生でも年に一、二本しか決定稿の判子は頂けず、『ぜひ企画書を出してみてくれ』と言われた先生ですら、毎月五枚、十枚と企画書を提出しても、箸にも棒にも掛からないなんてザラだそうです」 白帆は客間で、シュークリームを銀のフォークで切りとって、口へ運びながら話す。 「うん、まあ不採用なんていうのは、駆け出しの頃には当たり前のことだ。会社にとっては実績のない駆け出しなんだから、覚悟はしているよ」 舟而は白帆の口の端のクリームを指で拭い取って口に含みながら頷く。 「会社という数字に責任を持つ組織の中で、文学や演劇など腹が膨れないものの話を通すのは、もともと簡単ではありません。会社を経営する人の固い頭に入りやすい企画書を書く必要があるでしょう。わたくしの書き方でよろしければ、お教えします」 白帆が丁寧に淹れた煎茶を飲みながら、日比は銀縁眼鏡の奥の目を細めた。 「へぇ、仔猫チャンを主役に?」 森多はメガネを額の上に押し上げ、顔から少し離して企画書の内容へ目を走らせた。 「白帆本人はぜひとも演じたい、全力を尽くすと言ってくれています。白帆からの推薦状にもそう書いてあります」 「ああ、この手紙が推薦状なのか。ふうん、仔猫チャンの見た目によらず、意外に気骨のある字を書くね。……ふむ。わかった、ぼくがサインして、会議に提出しておこう。結果は約束できないけれども、僕からもなるべく推すようにする」 「よろしくお願い致します」  月例会議で検討されて、すぐに舟而は呼び出された。 「役員室? どこにあるんですか」  教えられて、ビルヂングの最上階にある大きな部屋へ足を踏み入れると、肩書きだけは知っていて、顔は初めて見る面々が、舟而に笑顔を向けていた。 「こういった斬新なアイディアと、客の立場に立った娯楽性を我々は求めていました。ぜひとも話を進めていただきたい。秋に二週間、小屋を押さえますから、その予定で稽古を進めてください」 「演出の先生は?」 「お書きになる舟而先生が、直接なさるのが一番でしょう。勝手のわからないところがあれば、森多先生に補佐をお願いするということで」 幹部連に連なる森多の顔を見ると、森多は不安の色を目に宿す舟而を見て呵々とばかり笑った。 「舟而君はもうずっとぼくの隣で見てきたし、心配いらないだろう。困ったことがあったら、言ってくれ」  頼むよ、楽しみにしているから、期待してるよ、口々に言われ、肩や背中を叩かれて、舟而は役員室を出た。 「よしっ! やった!」 腹の前で両の拳を握り締めて、小さく呟くと、舟而は階段をひらひらと何段も飛ばしながら駆け下りて、白帆の楽屋へ飛び込んだ。  白帆は鏡に向かい、一人で静かに顔を作っていたが、舟而が入ってくると目玉だけを動かして、鏡越しに舟而を見た。  舟而は笑みを浮かべて見せ、白帆の隣に膝をついた。 「やった、採用だ!」  小さな声で叫ぶと、白帆は両目を大きく開き、笑顔を咲かせて、舟而の両手を自分の手の中へ包み込んだ。 「おめでとうございますっ。一度目の企画書で採用されるなんて!」 ひそひそと祝ってくれる声に、舟而は頷いた。 「白帆のおかげだ」 「とんでもない、先生のお力です」 「書き上がったら、演じてくれるよね?」 「もちろんでございます。……ああ、今から楽しみです!」 思い余った白帆は舟而の頬へ接吻し、唇の形に紅をつけてしまって、二人は一緒に鏡の中へ収まりながら、手拭いの端で舟而の頬を拭った。 「何だか、紅が伸びていく一方だ」 「クリームをつけて拭き取らないとダメかしらん。ちょっとごめんなさいまし。……これで拭き取って。ふふ、ほっぺたが片方だけベタベタになっちまいましたね」 「もう片方も同じようにしてくれればいいさ」 差し出された頬に、白帆は唇形の紅をもう一度つけてから、コールドクリームを塗って拭き取った。 「お顔、洗ってくださいましね」 化粧石鹸を渡されて、その日、舟而は甘いシャボンの匂いに包まれながら、二階の客席の一番後ろで左肩を預け、腕を組んで白帆の演技を見守った。  女として舞台狭しと飛び回っている白帆を、自分はどのように料っていくか。 「本当の二代目銀杏白帆は、こんなものじゃない。僕しか見つけることができない白帆を、舞台の上で見せつけてやる」  相手役の男の手を引いて、花道を去っていく白帆の姿を拍手で見送りながら、舟而は強く口を引き結んでいた。

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