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第18話
「もっと舞台の前まで一杯に使って、大きく回っていただけますか。……うーん? かごめかごめで遊ぶように。そうです! 素晴らしい! 天才だ!」
舟而の朗らかな演出には、いつも和やかな笑いが起こる。中学生を相手に教員をしていた経験は確実に活きているようで、役者たちも生徒のようなあどけない笑顔で舟而に応える。
「根気が必要だが、なかなかいいやり方だ」
森多は腕を組み、舟而の教員的な演出の仕方に目を細めている。
「白帆はもっと力強く足を前へ踏み込んで。両手も脇を締めずに大きく抱えるようにして。そう」
「は、はい。こ、こんな感じでしょうか……」
白帆は両足を前後に開いて踏ん張り、後に尻を突き出して、床に落ちている巨大な冬瓜を抱え上げようとするような、不可思議な動きをした。
舟而はそっと顔を背け、拳で口元を隠すと、軽く咳払いでごまかしてから、爽やかな笑顔を浮かべた。
「うん、うん、方向性はいいよ。今は流して、あとで抜き出そう」
「うう、やっぱり違うんですね……」
白帆がぺちゃんと床に崩れると、稽古場にいる全員が明るく笑い、周りにいる役者たちは手を差し伸べて立たせてくれる。
慣れない身のこなしの連続に、白帆はからくり人形のような動きを続ける。
「『屋敷の奥に咲いている』……」
台詞を言いながら、屋敷全体の大きさを手の動きで示すだけでも、今までとは勝手が違う。
「ずっと脇を締めると思ってやってきましたから、脇を開けるっていうのはくすぐったいよな気がしちまうんですよねぇ」
白帆はほんのり頬を染め、俯いてから、再び顔を上げる。
「『屋敷の奥に咲いている、美しい花に誘われ、蜜を求めて……』。うーんと、『蜜を、求めて』。『蜜を』、『蜜を』? 歩く間に、合わないのかしらん?」
久し振りの前掛けと片襷で、大根が煮えるまでの間、台所の床の上を動き回る。しかし台詞と動きは合わなかった。
「台詞に合わせると、かなり早く歩かなけりゃならないよな、変な感じがしちまうんです」
揃えた指先を頬にあて、白帆は思案する。
「なるほど。だったら台詞を直すかい? 『屋敷の奥に咲いている、美しい花に誘われて参りました。ぜひともその花の蜜を頂きたいのです』なら、どうだい?」
台所の隅に置かれた椅子に座って足を組み、その膝を抱えて白帆を見ていた舟而が提案した。
「『屋敷の奥に咲いている、美しい花に誘われて参りました』。ここでトンっとして、『ぜひともその花の蜜を頂きたいのです』。……あら、動きやすい。動きやすいです、先生!」
白帆はもう一度台詞に合わせた動きをさらうと、その場でくるりと一周まわって、胸の前で両手をぱちんと打ち鳴らし、黒髪を揺らして舟而へ笑った。
白帆は楽屋で、舟而からもらったキャラメルを一粒、口の中へ含む。
「初日でも、先生からキャラメルといただくと、迷いがなくなって、すっと行けるよな心持ちになるんです」
「お前さんにとって、キャラメルは道しるべなのかも知れないな」
舟而は目を弓形に細め、キャラメルの箱をチョッキのポケットにしまうと立ち上がった。
衣装をつけた白帆も、火炎のように立ち上がり、何も言わずに手を伸ばして舟而の手を握ると、わずかの時間瞑目し、深呼吸する。
「大丈夫だよ、白帆」
「はい。行って参ります」
次々と開けられる暖簾やドアを通って、白帆は舞台に向かって行った。
「『屋敷の奥に咲いている、美しい花に誘われて参りました』」
白帆は衣擦れの音も涼やかな狩衣に烏帽子姿で、さっと御簾 を潜り抜ける。
驚いた顔をする十二単 を着た女性の手を、強引に自分の手の中に握り込むと、ぐっと顔を近づけて、甘く澄んだ声で話す。
「『ぜひともその花の蜜を頂きたいのです』」
とんっと姫君の肩をついて、褥 の上に突き転ばし、白帆はそこへ覆いかぶさるようにして、かつらの黒髪を肩からこぼす。さらに顔を近づけると、姫君の顔は白帆の髪に隠れて、まるで接吻しているかのように見えた。
「きゃあっ!」
黄色い悲鳴を上げるのは、姫君ではなく客席の女性たちだ。
白帆はその悲鳴に顔を上げ、ゆっくり客席を見渡して目を細め、笑みを浮かべて立ち上がる。
「『おお、なんと美しい花畑が広がっているのだろう!』」
そのまま舞台の上の屋敷を出て、舞台から下り、手を伸ばしてくる女性たちの手に触れながら、客席の間を笑顔で一周歩き回った。
「綺麗な手!」
「少し冷やっとしたわ」
「すべすべだった!」
「近くで見ると、うんと綺麗ね!」
『喜劇・源氏物語異聞』と名付けた芝居は、初めて白帆が立役 を演じ、その美貌と演技力を遺憾なく発揮した。
次から次へ女性を口説き、最後は団結した女性たちにとっちめられる筋書きに、客席からは拍手喝采が沸き起こった。
「ああ、たくさん笑ったわ」
「お腹の皮がよじれるかと思った」
「いやはや痛快だね。明日からまた頑張ろうって気持ちになるな」
二階席の一番後ろで、壁に左肩を預けて腕を組み、客席の声を拾っている舟而の口元にも笑みが浮かぶ。
「いい反応だ」
最後方の壁に寄り掛かって観ていた森多は、舟而の肩に左手を置き、さらに右手を差し出した。
「舟而先生、初日おめでとう」
「ありがとうございます」
「ぼくの弟子がこんなに活躍してくれるなんて、嬉しいよ」
「これからもよろしくご指導ください」
二人は笑顔で握手を交わした。
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