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第19話
「初日、お疲れ様でしたあっ!」
自宅の客間と次の間をぶっこ抜きにして座卓を並べ、『喜劇・源氏物語異聞』にかかわる役者と職方が集まった。
「ごく普通のお惣菜で、お恥ずかしいですけど」
白帆は、豚肉の甘露煮、鰤の塩焼き、キャベジ巻、コロッケ、煮しめ、風呂吹き大根、若布の酢の物、小松菜の胡麻和え、いなり寿司、乾し杏の甘煮など、座卓一杯に料理を並べる。
「白帆チャンが作ったのかい」
床の間の前に座った森多が、前掛けと片襷姿で大皿を運んでくる白帆の姿を見上げる。
「はい。森多先生のお口に合うといいんですけど」
「合うよ。白帆チャンが作ったっていうだけで、日の本一のご馳走さ!」
「お口が上手いんだからっ! おビールでよろしいですか?」
森多の手にコップを持たせてビールを注ぐと、するりと尻を撫でられる。
「もう、森多先生ったらぁ。男の尻なんて触っても楽しくないでしょっ」
白帆は笑いながら森多の手の甲を叩き、隣に座る舟而の後ろに控えるふりで隠れた。
舟而はすううううっと息を吸ったが、白帆にそっと背中を撫でられて、気取られないように静かに吐き出した。
「先生も、おビールでよろしいですか」
「ああ」
白帆がビールを注ぐと、座員から声が飛んだ。
「舟而先生、一言お願いします!」
そうだ、そうだ、という声が上がり、舟而は立ち上がった。
「ええと、では。今日、無事に初日の幕が開きました。皆さんが作品の理解を深めようと、努力を重ねて下さったおかげです。このまま千秋楽まで、事故なく、怪我なく、病気もなく、よりよい芝居をお客様へ届けることができるよう、協力し合っていきたいと思います。お願いいたします。……乾杯!」
乾杯と、サイダーやビールが入ったコップをぶつけ合う。
「はい、はーい、乾杯! かんぱーい!」
白帆も笑顔で、周囲の人とコップをぶつけ合った。
「白帆さん、このお煮しめの加減、ちょうどよ」
「わーい、お口に合って、よかった!」
小皿で受けた八つ頭を口にしつつ、白帆は末摘花役の、化粧を落とせばとても美人な女優と話している。
「あら、お酒は飲まないの?」
「私、お酒にとんと弱くて。乾杯もできないのよ、いやんなっちゃうわ」
葵上役と六条御息所役の二人が、断髪に軽やかなワンピース姿で、親しげに肩をぶつけ合っているのも、源氏物語を知る舟而にしてみれば面白い光景だ。
舟而はお疲れ様、ご苦労さんと声を掛けながら卓を半周回って、道具方へ酒を注いで労う。
「お疲れ様です。細かい注文をつけて申し訳ありませんでした」
「いやいや、言われてみれば、先生の言う通りだった」
舟而も酒を注がれて、道具方の腕の見せ所など聞くうちに、夜は更けていった。
「専属契約ですか?」
役員室に呼ばれて、舟而は顔を上げた。
『喜劇・源氏物語異聞』は盛況のうちに幕を下ろし、二作目の『悲劇・片思ひ』では、白帆が二役を演じて、決して出会うことができない男女の悲恋を描いた。
現在は三作目の『幻灯機と女』が上演されている。幻灯機を使ってホリゾント幕に古い写真や故人の言葉を投影する斬新な演出が好評で、毎日、会社から役者や職方へ大入り袋が渡されている。
「これだけ客を呼べる脚本が書ける舟而先生に、よそで書かれては困ると思ってね、ぼくから推薦させてもらったよ。まさかぼくの顔を潰すような返事はしないだろう、舟而君?」
背もたれの大きな椅子に腰掛けた森多が、部屋中に響き渡る声で、朗らかに言う。
「ええ、まあ。白帆がこちらに在籍している限り、よそで脚本を書く予定はありませんし、構いませんけれども」
「五年契約でどうだい? 悪くないだろう?」
「白帆と契約日の末日は揃えていただきたいです」
「なるほど、白帆チャンを人質に次回の交渉しようという訳か」
「どちらがどちらの人質になるか、あるいはどちらも人質の役に立たなくなっているかはわかりませんが、いずれにせよ一蓮托生と決めていますので」
「三年二ヵ月という少し半端な期間になるけれど、いいかな?」
「はい」
白帆が契約するときにも熟読したが、改めて目を通した契約書にも不審な点はなく、どちらにも等分の責任と利益が発生する内容となっていたので、舟而は署名捺印した。
「嬉しそうだね、白帆」
「はい。だってずっと先生の脚本を演じられます」
久しぶりの休日、白帆は台所に立ち、舟而は台所の椅子に座っていた。
「契約によれば、脚本には舞台だけでなく、関連会社のキネマの脚本も含まれるから、ずっと白帆のアテ書きだけもしていられないかも知れない」
「キネマもお書きになるんですか」
「契約上は。僕はキネマの実績はないから、話は来ないと思うけど、そういう可能性もあるという話だよ」
「先生がキネマの脚本をお書きになるなら、私、キネマにも出ようかしらん」
桶に張った水へ浸けて、傷んだ葉やよごれを取り除いた菠薐草 を、ざっと水から取り上げながら、白帆は言う。
「僕と二人でキネマに乗り込むかい?」
「私は先生がいらっしゃるところなら、どこへでも。一蓮托生でございますから」
白帆が切れ長な目を細めたとき、玄関の引き戸と、勝手口のドアが同時に開いた。
「舟而先生、文藝会大賞受賞、おめでとうございます! 先生! 先生っ!」
「ご感想を!」
「どのようにお考えですか」
「写真を一葉!」
キャメラや手帳を持った男たちが縁側からも、皆、土足のまま家の中へ上がって来て、次々に声を掛け、フラッシュを光らせる。
「ちょ、ちょっと待ってくれたまえ。どういうことだ」
一人の男が口を開く。
「今年度の文藝会大賞は、渡辺舟而先生に決定されました!」
そのとき、廊下の柱に取り付けた電話のベルが鳴って、舟而は文藝会から直々に受賞の報せを受けた。
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文藝会大賞決る
脚本家・渡辺舟而氏『悲劇・片思ひ』等
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翌日、朝刊の一面には、大きな活字による見出しと共に、電話を受ける舟而の写真が掲載された。
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